〜 ラッパ型補聴器
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紀元前
400年頃 |
Goldsteinによる"Problems of the Deaf"という書物にある紀元前400年頃にシシリーでディオニソスが作った山の麓の地下牢と山頂の監視人室との間に敷設された音を伝える為の管(shaft)のイラスト。
その目的は囚人達の会話を盗聴し、脱獄計画を事前に察知する為のものと説明されている。
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1551 |
イタリア人医師で哲学者、数学者でもあったGirolama Cardano (1501-1576)は書き著した「De
Subtilitate」で骨伝導について、「口にくわえた竿や槍の柄を伝い音がどのように耳に達するか」について記載。 |
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1588 |
イタリア人医師、科学者で暗号作成者でもあったGiovanni Battista Porta(1535-1615)は著書「Magia Naturalis」で初期の頃の補聴器について、「補聴器は木製で動物の耳の形を模しており、優れた聞こえが得られた」と記述。 |
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1616 |
Giovanni Bonifacio (1547-1635) は「Of the Art of Signs」と名付けた論文で手話について発表。 |
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1650 |
ドイツ人学者、数学者で哲学者であったAthanasius Kircher (1602-1680)は著書「Musurgia
Universalis」で補聴器(speaking trumpet)について詳細に論ず。 |
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1657 |
薬学教授のドイツ人Wolfgang Hoeferは著作「Herculis Medici, Sive Locorum
Medicorum.」でスペインでは補聴器(ear trumpet)が使用されていると記述。 |
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ひざまずいている人物は歯で楽器をくわえ(挟み)骨伝導で音楽を聴いている様を表している。 |
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Phonurgia nova が音についての様々な考察を書き著した最初の書物として知られていますが、この書物の中で色々な補聴器(speaking
tubes、trumpets)を紹介。
右のイラストは Ellipsis Otica と呼ばれる補聴器で、補聴器を示すイラストとしては最も古い物。 |
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1665 |
フランシスベーコンが書き著した“Sylva sylvarum”には補聴器(ear trumpets,
speaking tubes)についての記述が見られる。 |
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このイラストはドーム型の建物内での音声をどのように離れた場所へ送り届けるかについて示したもの。 |
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どうすれば室内にいて路上で話す人の会話を立ち聞き(盗み聞き)出来るかを示したイラスト。 |
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建物内で奏される音楽をどうすれば建物の外にいる人達にも聞かせ、楽しんでもらえるかを表したイラスト。 |
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このイラストは音がどのように反射(反響)し、そしてその音源の場所が分からない人にどのように伝わるかを示したもの。ここでは中央奥にある建物に向かって左の人物がラッパを吹き、石でラッパ吹きが見えない位置にいる右側の人物がその音を聞く様を示す。
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1670 |
Sir Samuel Morelandがガラス製の長さ約81.3cmの大きな補聴器(speaking trumpet)を発明。話し手側のラッパ部分の直径は約5.7cmで聞き手側は約28cm。
これに続く二作目の補聴器は真鋳製で長さが約1m37cmでラッパの広がった口の直径は約30.5cmとなり、更に銅製の三作目では長さが約4m88cm。 |
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1713 |
イラストの左側の楽器型のものは補聴器で、右側は音を増幅する器具。 |
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1757 |
ドイツ商人Jorrisonは骨伝導が補聴器具になることを再発見。Jorrisonが口にパイプをくわえハープシコード(ピアノの前身の鍵盤楽器)の脇に座っている時に偶然にくわえているパイプが楽器に触れた。そして、触れた瞬間に音楽がはっきりと聞える事を発見した。
Jorrisonは音が口でくわえたパイプを伝わり明瞭に聞えると考えた。そしてこの事実は彼の息子のJoannes
Jorrisonが学術論文で採り上げ、1757年に発表。 |
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1700年代後半 |
この頃には漏斗状や円錐形の補聴器(ear trumpet)が広く普及し、中には折り畳み式のものも現れた。人気のあったモデルはthe
Townsend Trumpetやthe Reynolds Trumpet、the Daubeney Trumpet。 |
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1887年に出版された書物の中に見られる様々なトランペット型補聴器のイラスト
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1899年イタリア人Gherardo Ferreriが著作の中で紹介したトランペット型補聴器の数々。
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電気式補聴器が誕生す前はこのようなラッパの形をした補聴器(ear trumpet、或いはspeaking
tube)が使用され、様々な種類や形、大きさのものが作られ、約400年の長きに渡って主役として活躍していますが、ヨーロッパでは今尚使われているものもあります。
見慣れている今日の補聴器からすれば姿形は異なり、使ってみると扱いにくくやっかいなもので、又得られる聞こえの改善度は限られており、対象は軽度から中等度の難聴者となっています。
これらの補聴器は話し手にラッパ状の大きな口の方から話してもらい、聞き手は小さな口の部分を耳に入れて聞くという仕組みになっています。この為、この補聴器は離れた人との会話や複数の人達と同時に話す事は出来ず、二者間での会話で、しかも至近距離でなされる場合に限られていました。
原理は人の耳の形状と同じ様に、声は広い口の部分から入り、狭くなる奥へ進むにつれ音が圧縮され、その結果音が増幅されて伝えることが出来るというもので、色々な大きさのものが作られ、聞えが悪ければより大きな物を使うように勧められたとの事です。
素材は最初の頃は動物の角が使用されていますが、やがて木製や金属製のものが登場します。一つの大きな特徴として、色は黒となっています。これは当時の人々が着る物は黒っぽいものが多く、補聴器を目立たせなくする為の配慮です。
Ear Trumpetは耳の不自由な人達が使うものでしたが、唯一の例外的な使われ方としてはこんなものがあります。17世紀には他人の耳を気にすることなく求愛の会話が出来るというので清教徒の恋人同士の会話に用いられていました。 |
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トランペット型補聴器ではより大きな物がより大きな音声増幅効果があるにもかかわらず、聞こえの問題よりも人目に付きすぎる点で敬遠され、余り使われなかったようです。人々が求めたのは、「もっと小さく、もっと良く聞こえる」補聴器だったのです。
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巻貝の貝殻を使ったトランペット型補聴器 |
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櫛の形をした補聴器 |
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1800 |
Frederick C. Reinがロンドンで最初の補聴器を製造する会社としてF. C. Rein
and Sonを設立。設立当初の製品は教会に納めるラッパ型補聴器(ear trumpet、speaking
tube)や音響台座(acoustic urn)であった。 同社は1963年まで営業。 |
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19世紀
初頭 |
多くの写真やイラストにあるように当時の補聴器はその大きさと形状から携帯性が悪く、使用するとなると否応無く人の注目を集めることとなり、例え何がしかの聞えの効果が得られるとしてもその使用には躊躇せざるを得ないものでした。
人々の補聴器に対する否定的な考えや強い拒絶感がある中で、19世紀に入ると補聴器のデザインの面で新たな流れが出てきました。従来の不恰好でかさばる補聴器本体を日常生活で目にする物や生活用品の中に組み込むタイプや携帯型の物が新たに考案されるようになりました。
この新しい形の補聴器は「人目を気にする」、或いは「人目をはばかる」事への配慮から生み出されたもので、補聴器本体を剥き出しにしないこれらの新しい装飾的な補聴器は使用者本人と社会にも受入れられるところとなり、補聴器の普及に役立ったと考えられます。
これらの補聴器には入念な彫り物や打ち出し細工が施されたり、図案模様を持つもの、塗装されたもの、入り組んだ格子状のもの等があります。ある物は人の肌色に合わせるように上薬をかけ、あるものは使用する人の髪の毛の色に合わせるような仕上げとなっています。又、補聴器本体を隠す為にレースや絹布、羽毛等で飾り立てられました。
しかし、如何に仕上がりが芸術的になり、使用者の気持ちの負担が軽減されたとは言え、これらの補聴器を使うのは気の重い、たじろぐような大仕事だった事に変わりはありません。 |
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19世紀
初頭 |
19世紀初めの頃の補聴器具のイラストで手前にあるラッパ型の補聴器は折り畳み式で、折り畳めば右側にある円筒形の容器に納める事が出来るようになっています。
左にあるケースに入ったものは"French Artificial Ear"と呼ばれる耳型で左は耳の内側、右は外側を模して作られたもので、真ん中の上のヘッドホン型のものは"German
Silver Ears"、その下は"Spanish Ears"との説明あり。
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1802年頃 |
F. C. Rein社(英国)により作られた花形をした“Floral Aurolese Phones”
この写真の製品には製造された当時の白色と緑色の塗装が残っています。見かけはきゃしゃで小さなものですが、再生周波数帯域は限られるものの軽度の難聴者には役立つ効果(約10dB)があった。
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1808 |
ラッパ型補聴器で良く知られているのは作曲家ベートーベンが使用した物です。
上段、左側からラッパのような形をした三つは大作曲家が実際に用いたものです。20歳代後半に聴力の異常を感じ、晩年には殆ど聞えない状態となっていましたが、創作意欲は衰えず、多くの名曲は聞こえが不自由になってから作曲されています。
本人は補聴器はそんなに役立つものとは考えていなかったようですが、外出時には写真の上、一番左にある小さなものをポケットに入れ持ち歩いていたとのことです。
左から三番目のものはメトロノームの発明者で知られるヨハン・メルツェルがベートーベンの為に作ったものです。ベートーベンはメルツェルの為にメトロノームのチクタクという音を真似たカノンを作曲し、感謝の念を表しています。
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1810 |
花瓶型補聴器
優雅な花瓶型をした補聴器はF.C.Rein社によるもので複数の集音孔を持つ補聴器の初期の頃のもので、金色の格子状の細工が施された六つの集音孔からテーブルを囲む人達の声を集め、声は管を通し聞き手に送られる仕組み。
右下写真では本体に塗られた白色と集音孔の金色は200年程経った今も鮮やかに残っています。本体は花瓶となっており、花を生けたり、果物を盛ったりして卓上に置き使用。
F. C. Rein社の花瓶型補聴器が卓上で実際に使用されている様子を写したもので右から五番目の人物が受話器を耳に当て聞いている。 |
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補聴器本体を人目に触れぬようにする工夫がなされた初期の頃ものとして知られているのはヘアバンド型のものです。当時は髪型や帽子の中に補聴器を収納し、カモフラージュするのが粋で洗練された方法と受け止められていました。
右の写真はF. C. Rein社(英国)による「見えない」“Aurolese Phones”と呼ばれる補聴器で、どれも補聴器本体が人目に付かぬよう様々な形状を持ったものが作られています。 |
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ヘアーバンド型補聴器
本体は布地で覆われており、当時の婦人のふっくらした髪型の中に入れ、隠すようにして装着するように作られています。元々は黒色の絹地で覆われていたとの事。
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1819 |
ラッパ型補聴器のある物は木に彫り物を施し、ある物は王侯貴族や富豪等が使ったと思われる金や銀製の物もあり、長い間、性別、身分、年齢にかかわり無く多くの人々に使用されています。しかし、時が経つにつれ、不満が募ります。ラッパ型の器具を耳に当て、くっつくような至近距離で会話するのは、取分け高貴な人々にとっては尊厳を損い、我慢なぬ事と考えられ、工夫が求められました。
その解決策として登場したのがこの「補聴器を持つ王座(Accoustic Throne)」で、18、19世紀のヨーローッパの王侯貴族の間ではこのような王座形補聴器が歓迎されました。
この写真の椅子(補聴器)はポルトガルのゴア王の為に作られたもので、王は1819年から1826年までの間用いたものです。
勿論、椅子と言っても通り一遍のものではなく、補聴器を組み込んだ椅子です。椅子の肘掛部分はライオンを模し、肘掛の先がライオンの頭の部分となっており、口を開た形となっていますが、この口がマイクになっており、この口から話される声が肘掛内部をくり抜き埋め込まれた管を通り、管の先端から声を聞く仕掛けとなっています。管の中には振動板があり、音を増幅させ、先端へ送り込みますが、写真では椅子の背もたれに垂れ掛けてある聴診器の耳に挿入するような管の先端を耳に入れて聞きます。
拝謁する諸侯や召使等話し手はひざまずき、ライオンの口に向かって話し掛け、王は管の先端部分を耳に入れ、聞くというものです。これにより、従来のラッパ越しの至近距離から話すのではなく、話し手と程よい距離が保たれ、又話す側も大声を上げて話す必要がなくなり、王の威厳も保たれるようになりました。
この補聴器のお陰で王宮内での謁見時等で少し離れて同席する者には全く普通の状態での会話と映り、又それのみならず、椅子は簡単に持ち運びが出来るので王宮外で王が臨席するような機会には、王を見守る関係者や一般の観衆には王の聞えの問題が知られること無く済ませ、威厳を損なうこともなかったのです。 |
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1819 |
光学機器の製造者であるドイツ人、Johann Heinrich August Duncker (1767-1843)は最初の補聴器(speaking
tube)の特許を取得。 |
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1821 |
Jean Marc Gaspard Itard著作の中に羊皮紙や貝殻製の補聴器(トランペット型)が示され、又竿型の骨伝導補聴器も示されている。 |
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19世紀に女性が公の場で使用するに相応しい補聴器として様々な形状や大きさで作られたのが“Mourning
Trumpet”と呼ばれるもので、名前の由来は当時の女性は黒系色の服装を身に付けており、仕上がりをこれと同系色の色とする為、黒色の布地や革、レース、リボン等で覆われていたので付けられた名称。(mourning:悲しみ、哀悼、喪) |
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1830 |
F.C.Rein社が製造した美しい耳型(外耳)補聴器で金メッキされた銀を素材とし、装用時に髪型やアクセサリー等と調和するようにオーダーメイドで製作。
実際の効果の程は1.5kHzで利得が13dBとなっておりこの型のものとしてはかなりなもので軽度の難聴には適していたと考えられる。 |
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1830年頃 |
F. C. Rein社が開発した貝殻の形をしたヘアバンド型補聴器(Shell-type Auricle
Headband)で、これは男性用。
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英国のT. Hawksley & Son社が開発した“Auricles”と呼ばれる補聴器を紹介するカタログ
二つの大きな集音用のラッパを持つ補聴器で、本体は布、又は漆塗りとなっており、頭の上か、又は後頭部に掛け、耳元で最適の聞こえが得られる位置に固定して使用。二つのラッパ部分は調整可能なバネに取り付けられており、軽量で耳を圧迫しない作りで毛やカツラ、帽子で簡単に隠せるようになっている。 |
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F. C. Rein社による特許を取ったヘアバンド(ヘッドホン)タイプの補聴器、“Aurolese
Phones”のカタログで、上から順にその進化を表す。
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顎ひげ型補聴器
男性専用補聴器で、集音部分を外側にし、基部を胸の上に掛け、顎ひげで隠すようにして使うもので、耳穴に至る管の一部も顎ひげで隠せるように作られている。
唯、使用中に誤って引っ掛けて取れ、耳を傷つけることのないように注意する必要があり、製造会社は本体をしっかり固定する為にスカーフの使用を勧めている。 |
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この顎ひげ型補聴器はHawksley社のカタログによれば男性は顎の下に掛け、顎ひげで覆い隠す、又女性の場合はスカーフや紐で留めて使用するとなっている。
耳に掛ける管はバネで結合されており、バネの力で耳に固定するようになっている。
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1836 |
上のイラストはJohn Harrison Curtisが考案したラッパ型補聴器でラッパの先端にある部分を耳に入れ、他方は口にくわえ気導と骨導の両方で聞くというもの。
下のイラストは望遠鏡型の補聴器で折り畳み出来るようになっている。
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1836 |
英国での補聴器に対する最初の特許はAlphonsus William Websterが発明した耳の後ろに掛ける曲線的に作られた補聴器に与えられた。 |
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1841 |
John Harrison Curtisによる“Curtis Accoustic Chair”
製作者本人によれば音を伝える管を加え、耳の位置に大きなラッパを取り付けた結果、椅子に楽な姿勢で座った状態で明瞭に聞え、又椅子としてもデザイン性に富み、快適なすわり心地が得られると説明。
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1845年頃 |
Barrel Headband
F. C. Rein社が開発した樽型ヘアバンド補聴器で、本体は髪の毛や帽子の色に合わせた布地で覆うようになっている。
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1850年頃 |
F. C. Rein社により作られたトランペットヘアバンド補聴器で、特徴は頭のてっぺんから装用する事も出来、又首にかける形で使用することも出来るようになっている。 |
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1850 |
1850年頃になるとオペラドーム、又はロンドンドームと呼ばれる金属製の補聴器が現れ、広く普及。大きな特徴はその形や大きさを変えることにより声の大きさが異なり、使用者の聞えの度合いに合わせて作られた。
London Dome
写真の補聴器は英国で作られ、素材は銀で、高さが7.1cm、直径が6.8cm。 |
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Ear Trumpet
正にラッパ型の典型とも言うべきイヤートランペット。素材は錫(すず)が用いられ、持ち手部分には黒いテープが巻かれ、そのテープが銀色に塗られている。 |
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Clarvox Lorgnette Trumpet
1800年代には特に高貴な人々の威厳を保つ為にメガネや双眼鏡と組み合わせた補聴器が作られています。
右の写真はオペラグラスタイプの補聴器でメガネ部分を目の位置に持って行くと、丁度耳穴部分に補聴器の聞き取り口が来るように作られている。材質は人造べっ甲でフランス製。色は当時の人々の黒や濃い灰色が主流であった洋装に溶け込むように黒や灰色系の色となっている。 |
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このオペラグラス補聴器の特許の申請内容によれば「観劇ではセリフが良く聞こえるのみならず、舞台もよく見える」となっている。
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1855 |
米国に於ける最初の補聴器の特許は柄杓型補聴器(earscoops)を作ったニュージャージー州の
Edward G. Hydeに与えられた。 |
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Long Tapering Cones
Hawksley社のカタログに収録されている花をかたどった女性用補聴器で様々な形やサイズの物が作られ、革や黒い布、レースで優雅に飾られ、本体をカモフラージュしている。それぞれのタイプには“Bradley”や“Brady”、“De
Hamel”等、そのデザイナーの名前が付けられている。
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19世紀にはいろんな種類の補聴器があった中でも特に女性に人気のあった補聴器は「扇型補聴器」です。
扇は日常生活でも用いられるもので、これに補聴器を埋め込み覆い隠すというのはエレガントな方法と考えられ、数多くのものが作られました。
Air Conduction Fan
右のイラストは典型的な扇型補聴器で、開いた状態で耳の後ろに当て、使用するものですが何がしかの聞えの改善は得られたものの、「話し手にもう少し大きな声で話すように促すのが本当の狙いであったかも知れません」、との紹介者の説明あり。
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Accoustic Fan with Ear Trumpet
扇型補聴器の中には集音の為のラッパが取り付けられたものもあり、扇は閉じても、開いた状態でも使用出来る。Hawksley社のカタログによれば「取り付けられているラッパの大きさにより聞え具合が異なり、又扇を開いた状態で使用する方がより良い聞こえが得られる」と記されている。 |
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Hawksley Accoustic Fan
このイラストにあるものは最も優雅な形をした扇型補聴器の一つとされている。 |
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骨伝導補聴器の使用方法を説明したイラスト
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1875 |
水筒型補聴器
1933年にDr. Goldsteinが著した著書、「難聴者の諸問題」に水筒型補聴器について次の記述がある。
この補聴器は1875年頃にアフリカのゴム農園主からの注文でThomas Hawksleyが作ったもので、注文主の要望は携帯出来る事、見て補聴器とは分からぬ事、馬に乗り農園を見回りながら働く者と話が出来る事で、これに基づき開発された補聴器は水筒に似せており、肩から掛ける仕組みとなっている。
音声は開口部から取り入れ管を通り、管先を使用者の耳に入れて使用するもので、本来は卓上型として使用されるStanilandモデルを改良したもの。
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1875 |
テーブル型補聴器
この黒い色をした金属性の卓上型補聴器は高さが30cm程の英国Hawksley社の製品で、テーブルの上に置き、この周りに花や果物を飾りつけ、本体をカモフラージュするようにして用いられたとの事です。本体から使用者に音声を伝える管は恐らくテーブルクロスやテーブル掛け、ナプキンの下を通すようにして覆い隠されたと考えられます。
本製品がテーブルに置かれ実際に使用されている様子で、左から二人目の人物が受話器のようなものを耳に当てて話を聞いている。 |
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1879 |
David Edward Hughesが最初の聴力測定器を発明。 |
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1879 |
アイルランド人William A. McKeownは「男性は一日の9割は家庭か事務所で過ごすことになり、この間に役立つ補聴器があればその効果は計り知れない」として椅子型補聴器を製作。
特徴は持ち運びが出来、椅子に取り付けられた二つの大きなラッパは前後、上下に動かせ、位置を自由に調節出来るように作られている。
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1879 |
Rhodes Audiphone
米国人、Richard Rhodesは団扇型補聴器(hearing fan)を発明し、Rhodes Audiphoneと命名。
この補聴器は薄い曲げやすい素材で作られており、形は団扇型で、団扇の上の部分を歯で挟み、伝わってくる音を聞くというもので、頭蓋骨を通し伝わる音を内耳に伝える仕組みの骨伝導補聴器。
本体に付いている紐を引くことにより団扇の張り具合を調節し、これにより音の強弱の調節が可能となっており、音量増幅効果は30dBあり、2mほど離れた所で話されている声を60cm程の所で聞くのと同じ大きさの声で聞く効果がある。
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Hearing Fan
団扇型骨伝導補聴器。丸い部分の素材は不明ですが、聞き手はこの部分を歯で挟み、話し手の声の振動を歯で受け、骨伝導で聞くもの。
使用例のイラスト |
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1880 |
Dentaphone
T.W. Graydonが特許を取った骨伝導補聴器で、使用者は振動板を持つ本体を手で持ち、小さな木片を歯にしっかりと挟み、振動板がとらえた音を骨伝導で聞く仕組み。
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1880 |
Bouquet Holder
Thomas Hawksley社によるブーケホールダーと呼ばれる女性用補聴器で、ブーケを模した金メッキを施され華やかさのある補聴器で、本体真ん中の二つに割れた部分が音の取り入れ口でこれを管を通し聞く仕組みとなっており、レース等で本体を隠せば露出する部分は管のみとなる。下のイラストはその使用例。
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Audiphone Fan
「“Audiphone Fan”を使えば皆が皆観劇やコンサートが楽しめます。・・・
“Audiphone Fan”で音楽が良く聴こえます。
使用しなければ音の聞分けは全く出来ません。」
、とは当製品の宣伝文句。 |
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帽子型補聴器
帽子は補聴器を隠す格好の小道具となり、集音部分や音を伝える管を帽子の中や縁の下に固定し作られている。
スケッチはHawksley社の帽子型補聴器のカタログより。 |
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ダービーハット補聴器
帽子の中に仕組まれたベル型の集音器が特許となっています。発明者のW.G.Bonwillによれば「帽子というものは極々ありふれたもので、普通の人はよもやこの中に補聴器が組み込まれているとは気付かない」、と述べている。 |
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杖型補聴器
紳士の持ち物としてステッキは威厳を与えるもので、このステッキを利用した補聴器で、持ち手の先端部分が集音口となっており、その直ぐそばに付いている管の先端を耳に当て聞く仕組みとなっている。持ち手部分は回転させる事が出来、左右どちらの耳ででも使用出来るようになっている。
女性用としてはこれと同じ仕組みの傘やパラソルが作られている。
杖型補聴器の使用方法 (Hawksley社のカタログより) |
耳に当てる部分の拡大写真 |
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特許申請された杖型補聴器の数々
1881年 1882年
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1885年
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1882 |
Rayleigh diskと呼ばれる音の強さを測る最初の精度の高い器具が開発された。軽くて小さなディスク(円盤)が自在に動くように吊るされており、音の強さに対しその強さに比例する形で円盤が回る仕組みとなっており、開発時より1930年代まで音の強さを測る原器として用いられた。 |
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1887年頃 |
Otophone 2 D
米国で作られたもので、受話器部分に振動板を持っている。長さ92.5cm、受話器部分の直径は1.9cm。 |
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1889 |
初期の頃の補聴器の宣伝広告は補聴器販売業者及び医療関係者向けに限定されており、一般大衆向けのものは殆ど見当たらない。
Tiemann & Co社の医療総合カタログで19世紀後半の医療機器が網羅され、その中の聴覚関連部分に種々の補聴器(ear
trumpet, conversation tube)が含まれている。
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1890 |
Hawksley Ear Dome
この真鍮製の補聴器は英国で作られ、製作者の名に因んでホークスレイ イヤードーム(Hawksley
Ear Dome)と呼ばれた。大きさは高さが6.5cm、直径が7.2cmとなっている。このタイプのものはドームの形と大きさを変えることにより使用者の聞こえの程度に合わせるように作られた。 |
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電気式補聴器
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1892 |
電気式補聴器時代の到来
補聴器は電気とグラハムベルによる電話の出現により飛躍的に発展し、これらは、今日の補聴器にも大きな役割を果たしています。
米国に於ける最初の電気式補聴器としての特許がニューヨークのAlonzo E. Miltimoreに与えられました。しかし、「個人用磁石式電話」と名付けられたこの製品が実際に開発、製造されることはありませんでした。
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1895 |
6ペンスで販売されていたHawksley社のカタログで数々の補聴器が扱われている。
補聴器は集音器(sound collectors)、隠せる補聴器(disguised aids)、会話用管型補聴器(conversation
tubes)、骨伝導補聴器等と種類別に分類されている。
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1895 |
「難聴者は程度の差はあれ、常に友人の親切さと寛容さに寄り掛かる重荷である。よって、大きさや外見についてとやかく言わず、聞こえを助長する補聴器具を用いるべし」
、とはHawksley社カタログの一節。
原文:“A deaf person is always more or less a tax upon the kindness and
forbearance of friends. It becomes a duty, therefore, to use any aid which
will improve the hearing and the enjoyment of the utterances of others
without any murmuring about its size or appearance.” |
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1898〜
1899 |
当初の電気式補聴器(カーボン補聴器)はグラハムベルが開発した電話の原理に基づき音を増幅するもので、1899年に最初の製品が卓上型補聴器として登場しましたが、使用出来る製品は1902年まで待たねばなりませんでした。
米国でMiller Reese HutchisonとJames H. WilsonによりThe Akouphone Companyが設立され、“Akoulallion”(ギリシャ語の「聞く」と「話す」を表す)と呼ばれる最初の電気式補聴器が製造された。この卓上型補聴器はカーボンマイクを使用し、三組のイヤホンを持つ物で僅かな台数が製造され、販売価格は400ドルであった。 |
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1900 |
The Akoulallionは“Akoulallion”の改良型でより小さな“Akouphone”と名付けられた補聴器を開発し、60ドルで売り出したが、両製品とも売れ行きは芳しくなかった。同社は1901年に倒産。 |
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Seth Scott Bishop (1852-1923)は電話の発明者アレクサンダー グラハム ベルとの会話を次のように記録している。
ベルに電話技術を使って補聴器の開発が出来ないかと問うに、ベル曰く「それは全く不可能とは言わないが、今現在我々が持ち合わせている知識ではありそうもにはない」。
Bishopは効果のある補聴器としてここにある二つの補聴器を挙げている。
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Theodore Heimanは著書の中でイラストで初期の頃の電気式補聴器を含む数々の補聴器を紹介している。
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20世紀初期の電気式補聴器は19世紀後半に発明された電話技術が用いられています。
電池とカーボンマイクの組合せで作られた補聴器は外部の電源を用い、今までにない大きな増幅能力で、より良い聞こえを現実のものとします。この結果、軽度から中等度の難聴者のみならず重度の難聴者にも光明を与えることになります。
更に技術の向上に伴い、人目に付かない形状の補聴器の開発が可能となり、又同時により安価な補聴器の開発、製造が出来るようになりました。 |
20世紀
初頭 |
Evan Yellonの著作には20世紀初頭の人々が補聴器を使っている珍しい写真が載せられています。
卓上型補聴器を使って会話する様子 |
ダイニングテーブルに置かれた補聴器を使う二人 |
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この写真にあるものは補聴器ではありませんが、Hutchison Acoustic社が開発した"Massacon"と呼ばれる「耳のマッサージ器」で、鋭い音を出し、中耳の働きを活発化させ、聞こえを良くするというもの。 |
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1902 |
米国人Charles W. Harperは“the Oriphone”と呼ばれるカーボン式補聴器の販売を始めた。 |
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1903 |
Miller Reese HutchisonとWillard S. Mearsがthe Hutchison Acoustic Coを設立。
会社設立最初の年に“Acousticon”と呼ばれる携帯型補聴器をはじめ五器種を開発。
この写真は使用中のポータブルAcousticon。小型である為、携帯出来、本体は洋服に留め、電池はポケットかハンドバッグに入れ、イヤホンは手で持つか本体と共に持ち運ぶ。 |
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1904 |
Hans Demant (1855-1910)によりデンマークでOticon(オーチコン)が設立され、独自の補聴器製造を開始。 |
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1906 |
ウィーンの病院助手であったDr. Ferdinand Altは関係学会で自作の電気式補聴器を披露。
磁石式イヤホンがカーボンマイクに接続され、そしてこれが小型電池箱に取り付けられたもので、本人が認めたように60cm以上離れた距離から話しかけられると役に立たぬものであった。 |
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1910 |
1847年に設立されたドイツのSiemens(シーメンス)が補聴器の製造を始め、まず、耳の不自由な同社の社員が試用。
右の写真は同社のホームページより |
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1912 |
音量調節機能を持つ補聴器がGlobe Ear-Phone社により初めて紹介された。 |
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1912 |
耳鼻咽喉科の医師William Guthrie Porterは著書の中で「一般的に言って、患者にどの補聴器が相応しいかを決めるのは不可能に近いことで、患者自身が色々な補聴器を試してみることだ」と述べている。 |
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1914 |
Stethoclare Table Model
卓上型補聴器で、話し手は大きな口から話し、聞き手は下の小さな管の先を耳に当てて聞く。 口径は11.6cmで奥行きは12cm。 |
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1915 |
Hawksley Auricle
ヘッドセット型補聴器とでも呼ぶべきもので、ヘッドバンドの上からや帽子の中に装着して使用。管の部分は二段階で調節出来る仕組みになっており、素材は金属ですが、写真のようにオプションとして布で覆ったものも作られていた。 英国製。
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1915 |
Lorgnette-Phone
裁判長の持つ槌に似た形をした補聴器で先の丸い部分の片側がマイク、他方がレシーバーとなっており、電池は柄の底部分に入れ、丁度電話の受話器を持つようにして使用された。 |
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1920年代 |
1847年に創立されたSiemens Halske Companyでは1877年に医療機器部門が設立され、1910年に補聴器具の製造を始めた。
ここにある写真は1920年代の同社のカタログでウォレットやハンドバッグ型補聴器が示されている。
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真空管補聴器
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1920年代初期 |
1920年代の初め頃から使用されだした真空管補聴器はそれ以前の電気式補聴器とは異なり、十分な音の増幅能力を持ち、中等度から重度の難聴者の使用にも耐えられるものとなりました。
しかし、その初期の頃の真空管補聴器は大きなラジオ程の大きさで、 重さもかなりなものでした。又、電池も大きく、重く、持ち運びが大変で、寿命も短く、とても補聴器用として使用出来るものではありませんでしたが、その後、より小さな電池が開発され、小さな補聴器への一歩が現実的なものとなりました。
最初の真空管補聴器は1921年に登場しますが、実際に使えるものが開発されたのは1930年代の初めの頃です。しかし、日常的に使用出来るような製品が登場するのは1934年まで待たねばなりませんでした。 |
1921 |
Earl C. Hansenが“Vactuphone”と呼ばれる最初の真空管式補聴器を考案し、特許を取得。この製品は電池を電源とし、三極真空管を用いたもので、大きさは18.4
x 10.0 x 18.3 cmで箱型カメラより大きく、価格は135ドル。Western Electric社により製造されGlobe
Ear-Phone社が1921年10月より発売開始。本体は箱型カメラと見せ掛ける為にレンズ(ガラス)が取り付けられている。
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1921 |
Aurosage
耳をマッサージする電気式の耳の治療器。「使い続ければ耳の血行が良くなり、徐々に聞こえが戻って来ます」、とはその謳い文句。 |
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1922 |
Ossiphone
S.G.Brownの考案になるOssiphoneと呼ばれる骨導を使った耳のマッサージ器。
受話器の形をしている部分を皮膚に当てるか、又は付属品を使い歯に挟んで使用する。 |
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1923 |
Augustus G. PohlmannとFrederick W. Kranzにより最初の電気式骨導振動器が作られ、聴力計や補聴器に用いられた。 |
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1923 |
Western Electric 1-A
本製品は電気式聴力計の最初の頃の製品。 |
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1923 |
Vibraphone
ラジウムを上塗りしたものでラジウムイヤ(Radium Ear)の別名を持つもので、ラジウムが耳の組織に働きかけ、伝音性難聴の聴力の向上に役立てたものと考えられる。 |
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1923 |
英国のMarconi社と米国のWestern-Electric社が真空管式補聴器を発表。 |
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1925 |
Electrical Aural Vibrator
難聴や耳鳴り治療の為の電気式耳マッサージ機で、パネル前面のツマミで振動の強さを調節する仕組みとなっている。 |
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1926 |
Halsey A. Frederickが米国でオーダーメイドの耳型で最初の特許を取得。Western
Electric社がこれをライセンス生産。 |
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1927 |
Acousticon Model 28
初期の頃の典型的な電気式補聴器で、大きく、携帯には不向きなもので電池は熱さ寒さに容易に影響を受ける扱いにくいものであった。 |
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1928 |
Acousticon Model 56
電気式補聴器の初期の頃の物は補聴器を目立たたせないようにするにもその大きさ、形から工夫にも限度があり、代表的なものはラジオと見せ掛けるものとなっている。
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1930年代 |
Western Electric 2-A
同社モデル1−Aの改良型聴力計で、7オクターブの周波数帯域で64Hz〜8,192Hz間の8つの周波数に限定されている。 |
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1930 |
Telephone Amplifier
初期の頃の電話型補聴器で二つの真空管を持つかなり大きな卓上型となっていて、大きさは35.1
X 21 X 20 cm。 Fanly氏によるもので二台のみ作られた。 |
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1930 |
French Electric Camera
カメラに似せた当時としては珍しい補聴器。 |
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Confessionaire
教会で信者が告白や懺悔を行う時に用いられたもので、告白者が受話器のようなものを耳に当て、本体は牧師の方に向けて使用された。 |
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1930、40年代に入ると真空管の小型化が進み、これに伴い体に装着出来るような携帯型の補聴器の開発が進みました。しかし、携帯型といっても初期の製品は電池は本体に内蔵されておらず、電池と本体を結ぶコードが必要とされ、又電池の装着が一仕事という代物でした。 |
1931 |
電極版、陰極、配電網から成る五極真空管が開発され、性能が安定し、寿命が長くなり、自在に増幅効果が得られるようになった。この五極真空管が数年後に最初の携帯型で好評を博すことになる真空管補聴器の到来へと路を切り開くこととなる。 |
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1932 |
Sonotone Corporationにより最初の携帯型骨導補聴器が発表された。 |
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1933 |
SonotoneのE. H. Greibachが“reaction”型骨導受信機の特許申請を行う。
初期の頃の骨導補聴器を改良したデザインは今日でも用いられている。 |
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1933 |
Max A. Goldstein, M.Dより
「米国では電気式補聴器が受入れられるようになり、目立たぬようにカモフラージュされたトランペット型補聴器を使用する人は殆ど見かけなくなった。」 |
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1933 |
一般消費者向けの補聴器の広告は1930〜1940年代にかけて目に付くようになり、この頃には雑誌(Life,
Saturday Evening Post、Newsweek、National Geographic等)や新聞にも広告が載るようになっている。
右の広告はGeneral Audiphone社がThe Volta Review誌に出した同社の"Tiny
Tim Audiphone"のもの。
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1934 |
特許を取ったカツラを使ったトランペット型補聴器で女性用の補聴器を隠す格好の小道具としてカツラが用いられた。 |
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1934〜
1935 |
Thomson Houston社をはじめとする英国の数社が電池式、小型真空管の製造を開始。Amplivox社,やMultiTone社を含む英国の数社がこれらの小型真空管を携帯型真空管式補聴器に初めて組み込む。 |
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1935年頃 |
Amplivox "Purse"
この頃も補聴器を目立たせぬ様々な工夫が試みられていますが、この写真のものはハンドバッグ(purse)にカモフラージュしたもので女性用となっている。
マイクはハンドバッグの側面に埋め込まれ、電池とアンプ部分はバッグの中に収納されており、使用する際はマイクが埋め込まれた側を話し手の方に向けて持ち、イヤホンで聞く仕組みとなっている。 |
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1935 |
米国のRadioearはThe Selex-A-Phoneと呼ばれる最初の“master hearing aid”を発表。
この補聴器は使用者本人にとって最適となるマイクと受信機の組み合わせを試す事が出来、この試聴結果に基づき工場で補聴器を作るというもので、個々人の聞えに合わせるタイプの補聴器となっている。 |
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Paravox社をはじめ他のメーカーは広告では消費者に親しみやすい印象を与える内容のものとなっている。
この広告ではハリーは神経質で、怒りっぽい性格であったが、Paravoxの補聴器を使うようになってからは人が変わったと謳っています。
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1936 |
Tel Audio
大きなマイクを持つ卓上型真空管補聴器で、最初のテレコイル対応の補聴器と考えられている。
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1936 |
英国のMultitoneが最初の自動音量調節機能を持つ卓上型補聴器を開発。同社は1948年にこの機能を持つ着用型補聴器を発表。 |
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1937 |
Sonotone Perceptrone
Sonotone社の最初の真空管補聴器で三本の真空管を用い、本体は当時としては一般的なカメラ形を採用している。電池は箱の裏側から入れ替えられるようになっている。 |
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1938 |
DeForest Universal Audiophone
電気式補聴器でマイク、アンプ、電池は別々の作りとなっている。 |
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この当時の補聴器は全てマイク、イヤホン/ヘッドセット、電池が別々の作りとなっており、携帯には不向きなものであった。
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マイク ヘッドセット
電池 |
1940年代
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カーボン補聴器は1940年代に人気があった。使用されていた電池は3ボルトか6ボルトで十分な電力が得られず、効果は軽度から中等度の使用者に限られていた。
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1942 |
Paravoxが一体型となった補聴器を発表。 |
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1943 |
Mearsが一体型補聴器を開発。 |
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1944 |
Zenith Radionic社のモデルA2A
真空管式補聴器 |
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1944 |
Aurex CA
1938年、Aurex社は米国で最初の携帯型真空管式補聴器を開発したメーカーの一つとなった。
写真にあるモデルCAは1944年に発表されたもので二つの電池が本体にコードで接続されている。 |
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Western Electric社 モデル134
ウエスタンイレクトリック社の真空管補聴器で二つの電池がコーで本体に接続されている。 |
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当時の真空管式補聴器は二つの電池を必要としていました。一つは真空管のフィラメントを温める為、もう一つは音の増幅の為となっています。電池の大きさは補聴器本体とほぼ同じ大きさで、重さは1.1kg強あり、電池は洋服の下に着用したり、ポケットに入れたりして携帯する事になりますが、いづれにしてもかさ張る厄介もの扱いであったようです。
CID提供の写真によるいろいろな電池の装着方法。
Zenith社は1940年代の初期に最初の真空管式補聴器を開発していますが、ここにある写真はマニュアルで電池の装着方法を説明したもの。
Zenith Electronics Corporationのマニュアルの一部で電池の装着方法について二ページを割いている。
Sonotone社の取扱説明書には、女性の場合として電池専用袋も用意され、腕の下や胸、足に装着するように写真入で説明している。
電池専用袋。 |
1944 |
ベルトーンが一体型補聴器を発表。
ベルトーンの“Mono-Pac”には水銀電池が用いられた。 |
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第二次大戦後はボブホープやメリーピックフォード等のハリウッドスターを起用し、補聴器の宣伝を始め、又"Hollywood Veri-Small"や"Starlet."等ハリウッドがらみのネーミングも用いられた。
右にある広告を作成したParavox社はこの狙いとして「もし、聞えの不自由な人達にボブホープやメリーピックフォードが補聴器に対し好意的、肯定的な考えを持っている事が伝えられれば、補聴器使用への尻込み感が軽減されるのではないかと考えた」としています。
「Paravox補聴器で多くの聞えの不自由な人達が私のラジオや映画を楽しんでもらえるようになるのはとても嬉しい事です。」 ボブホープ
「Paravox補聴器で多くの人達が映画のセリフが聞けるようになるのはとても嬉しい事です。しかし、もっと大切な事は家族や友人の声が聞ける事です。」 メリーピックフォード
Radioear社の広告 Sonotone社の広告 |
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ベルトーン社は大物を起用し、カタログで多くの人達に補聴器装用を訴えかけた。
「女性にとって補聴器を持ち運びするのは男性よりも問題が多いですが、やがて周りの人達の声が聞えなくなれば、私は家族に大声で叫ばすような事は決してしません。多少不便なりとも補聴器を使用します。」 エレノア ルーズベルト(ルーズベルト米大統領夫人)
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1946 |
「全てが一つにまとまり、大きさや重さは従来の補聴器の約1/3で、トランプとほぼ同じ大きさです。」ベルトーンがHarmony
Mono-Pacを発売した時の広告
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1946 |
Paravox社の Extra-Thin
真空管式補聴器で「最も細身の補聴器」と宣伝されている。
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1947 |
Solo-Pak 99
一体型の真空管補聴器で初めてプリント配線が使用されている。この写真の製品は同タイプの5番目のモデル。 |
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1947 |
ベルトーンが“Audio-Selectometer”と呼ばれる電気式調整型補聴器を発表。 |
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1947 |
1947年には電池の製造技術の向上のお陰で補聴器の画期的な小型化がもたらされ、その結果、マイク、アンプそれに電池が一体化され、本体とイヤホンがコードで結ばれる形の補聴器の誕生を見ることとなった。
Zenith Model 75
この写真にあるZenith社のModel 75は初期の頃の一体化された補聴器で本体の中にはマイク、アンプそれに三本の真空管及び電池が内蔵されている。しかも価格は75米ドルで、メーカーも安価な価格を強調している。 |
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1947 |
Acousticon A-100
この製品はラジオを模した真空管式補聴器で“Radion”と命名されていた。 |
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マイク、アンプ、真空管、電池がコンパクトに本体に収納出来るようになり、最初に開発された携帯型補聴器は主に男性用で、男性が着用する背広やシャツ、ネクタイに装着し補聴器を人目に付かぬようする形となっており、ワイシャツの胸のポケットに入れたり、襟の折り返し部分に挟んで留める仕組みとなっている。
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Hal-Hen Hearing Aid Klip
ワイシャツのボタンに留め、ネクタイで人目に触れぬように使用出来るようになっている。
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1947 |
ベル電話研究所が最初のトランジスターを発明。最初に発明されたトランジスターは補聴器には使用できず、その後改良されたトランジスターが補聴器に初めて使用されることとなった。 |
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1947 |
1947年よりParavox社は様々な新聞、雑誌へ広告を掲載し、幅広くParavox補聴器の宣伝活動を行った。
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1947 |
All-in-One 900
Sonotone社の一体型補聴器で、「とても小さく、羽毛のように軽く、腕時計を着けるような感覚」と宣伝された。
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1948 |
Precision Electric Co. Table Aid
初期の頃の真空管式補聴器はどれも大きく、壊れやすく、持ち運びに不便なもので、補聴器臭さを隠す方法はごく限られており、多くはラジオに似せて作られた。 |
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1948 |
Solo-Pak
コードを一切使用しないプリント配線による“Solo-Pak”と名付けられた最初の補聴器がAllen-Howe
Electronics Corpより発売。 |
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1948 |
モデル202
「最も小さく、最も軽い補聴器」とアピールされたMicronic社のモデル202」
広告ではタバコと比較していますが、横幅約5cm、高さ約10cm、幅約1.9cm。 |
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1948 |
髪は女性用補聴器にとって人目に触れぬ(目立たせぬ)為の格好のもので様々な工夫を凝らした補聴器が登場します。同時に、髪留め、スカーフ、帽子も良く利用された小道具でした。
Paravox Veri-Small
説明書でVeri-Smallを髪型に隠してセットする方法を説明している。
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Sonotone社のカタログ
ヘアスタイルとの調和が謳われている。
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Hal-Hen社の帽子とスカーフ
ファッション性を取り込んだ様々な帽子やスカーフ型補聴器が開発され、多くは誂え品であった。
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Sonotone社の帽子型補聴器のカタログ |
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Sonotone社のカタログにはビーチでの装いの際の補聴器の装用方法についても説明が加えられている。「唯、泳ぐ時には補聴器を取り外すこと」との説明もあり。 |
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1949 |
補聴器の頑丈な作りを宣伝したParavox社の広告で、同社の"Veri-Small"補聴器は約1088kgの重圧に耐え、高さ180mから落としてもびくともしません。」 |
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1949 |
Aurex PA Personal Amplifier
真空管式で細い先端にはゴムで出来ており、この部分を耳穴に入れて使用する。 |
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1949 |
Wrist Ear
時計型の補聴器で特徴はマイク。目立たせぬようにする為、時計のバンド接続型かブローチ型かを好みで選べるようになっている。 |
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1940年代後半 |
Audio Development Company Model 51
Audio Development社の聴力計で128Hzから8192Hzの音色を出し、信号は気導、骨導を通し伝えることが出来る。
本機は“Talk”のオプション機能を持ち検査する人と検査を受ける人は会話が出来るようになっている。 |
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1951年初め |
Maico E-2
Maico社の聴力計で純粋な音、さえずり音、話し声を気導、骨導で出せ、二つの気導用レシーバー、骨導用、マイク、合図用ボタンと二つのVUメーターを備えている。 |
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1950年代 |
Barrette Hearing Aid Models
髪留めは補聴器を偽装するのに気の利いた小物で髪の色に合わせる為に様々な色で作られ、付属の説明書にはコードやイヤホンの隠し方が説明されている。 |
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1950年代 |
1940年代後半に開発されたトランジスターと電池の小型化が相まって補聴器がより小さく、より強力になったお陰で米国では1950年代に補聴器の宣伝広告や販売に於ける黄金期を迎えます。
1850年代から1950年代までの補聴器の進化を伝えるSonotone社の広告
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1950年代 |
当時の広告では補聴器の小ささを強調する為に人の手が良く利用されています。
ベルトーン Otarion社 "Whisperwate" (1950年) Paravox社 "Top Twin Tone" (1950年)
Dahlberg Jr.(Model D-2) (1951年) ベルトーンの Monopac L"
(1952年)
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1950年代 |
当時の宣伝、広告には「隠す(Hide、Hidden Ear)」、「秘密(Secret)」、「見えない、人目に付かない(Invisible
Ear、Phantom、Unseen Ear、Hide-A-Way)」、「小さい(Midget、Veri-Small)」等の単語やこれらをもじった単語が広告、宣伝に多く見られるようになり、言葉の表現では「何も見えない(nothing
shows)」、「聞えの問題が人に知られない(one's hearing is hidden)」等が多く見られます。 |
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1950年代 |
人々は外出時には着飾り、アクセサリーを身に付けるようになり、これに伴い補聴器もおめかしをします。イヤホンはイアリングに似せられ、マイクはブローチやタイピンに、コードはネックレスに隠すようになります。
Sonotone社資料より |
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1950年代 |
Hal-Hen社の“Pearl Necklace Hearing Cord”
イヤホンのコードをカモフラージュする為の真珠の首飾りを模した製品。写真のモデルは同製品の開発者の妻。 |
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補聴器の機能説明が主体の広告から、生活を対象としたものも見受けられるようになった。
ベルトーン社のパンフレットで補聴器を使えば「普通の家庭生活が楽しめます」、「支障なく仕事が行えます」、「教会やラジオ、映画、音楽等も楽しめます」。
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1950 |
Otarion社の"Whisperwate"
当時の最小の補聴器でマッチより僅かに大きい程度で、重さは電池込みで約99g。
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1950 |
Maico Model J "Top Secret"
その名もTop Secret(極秘)。5〜7cm程度の大きさの小型補聴器で、ポケットにすっぽり納まり“pocket
aid(ポケットエイド)”とも呼ばれたもので、衣服と擦れ合う雑音を拾わない為にマイクは本体の上側に付いています。
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1950 |
Sonotone Model 940
このスリムな真空管補聴器は男性の衣服の下に装着して使用するものですが、特徴はマイクが本体から独立し、コードで本体につながっている。マイクは着衣の外側に取り付ける為に、人目を考え宝石や装飾品を装ったデザインを採用している。
マイクの全面にマイクをカモフラージュする為の徽章や勲章、イニシャル等で装飾するようになっています。下の写真はこれらを紹介する同社のカタログです。
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1950 |
Telex Founten Pen
「難聴を世間に全く気付かせない前例のない補聴器」とメーカーが謳ったペン型補聴器
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Panasonic WH-01
ペン型補聴器でマイクや音量調節ボタンはペンの上部にあり、ポケットに入れて使用する。 |
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1950 |
“SonoCharms”
Sonotone社の補聴器用マイクを写真のような装飾的な飾りピンに似せて作られた。
各補聴器メーカーとも補聴器を人目に触れぬように使用したいという使用者の意識と気持ちを十分理解しており、その為にメーカーはカタログで人目に触れぬような使用方法をあれこれ説明している。
下にあるのはSonotone社のもので宝石をかたどったマイクの着け方を示している。
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当時のカタログには “Secret(秘密)”の文字があちこちに見受けられます。
「補聴器が人目に触れない」 、「難聴であることを人に知られない」が各メーカーが市場に発するメッセージとなっています。
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1950 |
「この女性は補聴器をつけています」、と補聴器が見えない事を強調したAurex社の広告。(シカゴトリビューン紙)
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メーカーによる行き過ぎた宣伝や広告は当局(Federal Trade Commission)の取締りの対象となり1934年から1976年の間にメーカーに対し66件が偽りや誤解を招く恐れがありとして差し止め等の行政命令や指示が出されていますが、これらの40%近くは1950年代に集中しています。
取締りの対象となった表現例
・見えない補聴器
・何も身に着けていない
・難聴を覆い隠す
・親友でも補聴器を装用していることに気付かない |
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1951 |
Zenith社の"Royal"
75米ドルで販売され、広告では「ちっちゃく、軽く、光り輝く金色仕上げ」と謳い上げた。
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1951 |
宣伝、広告では補聴器の「大きさ(小ささ)」が強調され、使いやすさと携帯性を前面に打ち出したものが多く、大きさの比較には時計、鍵、マッチ、タバコ、定規等が好んで使われている。
Maico社の"Top-Secret"補聴器。
「とても小さく、手のひらに乗り、時計とほぼ同じ大きさで、何処へでも忍び込ませ、持っていることを忘れさせます。」 |
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1952 |
Radioear社のモデル82、"Zephyr"
補聴器の広告では「男性や女性の小物類よりもはるかに小さい」と強調している。
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広告で補聴器の大きさ(小ささ)を訴える為に人の手や時計、タバコ、マッチ等の小物がよく使われましたが、この手法が新鮮味をなくすと、今度は製品間の比較が行われるようになりました。
右の写真はSonotone社とZenith Electronics社のカタログ。
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1952 |
ベルトーンのカタログでは補聴器の使用は「聞えの不自由さと決別出来る機会です」、と主張し、同社の小型補聴器Beltone
Model Lは「この違いを提供します。幸福と孤独、自信と内気、心の平静と不安、気晴らしと疎外」。 |
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トランジスター補聴器
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1952 |
補聴器開発の歴史を通し、最も画期的な出来事は1950年代のトランジスターの発明でした。
トランジスターの登場により補聴器技術は新たな段階を迎えます。1952年に幾つかのトランジスター補聴器が発売されますが、翌年、1953年末には真空管補聴器に取って代わる勢いを示します。
二つの電池を必要とした真空管補聴器とは異なり、電池は一つで機能する事も手伝い補聴器の更なる小型化が現実のものとなりました。
トランジスターの恩恵としては補聴器のサイズの小型化、効率性、少ない消費電力、そして価格の安さが挙げられます。 |
1953 |
Microtone社が初めてのトランジスター補聴器を完成。その数ヵ月後にはMaicoやUnex、Radioear社もトランジスター補聴器を発表。そして、トランジスター補聴器は市場でも大いに歓迎されることになります。
米国補聴器協会の調べによれば、1953年には米国で約22.5万台の補聴器があり、この内10万台は純トランジスター補聴器、7.5万台はハイブリッドトランジスター補聴器、そして5万台が真空管補聴器となっています。
同協会の翌年の記録では合計台数が33.5万台で32.5万台がトランジスター補聴器となっており、この数字はトランジスター補聴器の目覚しい普及振りを伝えています。 |
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1953 |
Radioear's社のモデル1820
Radioear's社の最初のトランジスター補聴器 |
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1953 |
Andre Djournoが聾患者の内耳を刺激し、聞こえを得る人口内耳の着想を発表。 |
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1954 |
トランジスター補聴器は小型で、一体型であり、生活用品をうまく利用する便利な形のものが作られた。その代表格はメガネ型補聴器。
米国ではエレノア ルーズベルト元大統領夫人がメガネ式補聴器を掛けた写真をあしらった広告の使用を許可した後に大いに人気が集まりました。1959年にはメガネ型補聴器は市場全体の約半分を占めるまでになっています。 |
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1954 |
ドイツのAkumed社と米国のOtarion社は共に初のメガネ型補聴器を発売。
Otarion社の“The Listener”と呼ばれたモデルではメガネの片方の柄のこめかみ部分に受信機、他方の同じ部分にマイクが納められ、両者を接続する形となっていましたが、技術の進歩に伴いやがて全ての機器類は片側に収納されるようになった。
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1955 |
Audiotone G-2
メガネ型補聴器は3、ないし4つのトランジスターを使用しメガネの両枠に電池と共に組み込まれている。
写真のものは最初の頃に作られたと考えられているメガネ型補聴器の両側の枠。 |
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1955 |
Acousticon "Wrist-Ear"
「画期的(革命的)な新たなアクセサリー」として宣伝された腕時計を模した補聴器で、コードは袖下に隠すようになっている。 |
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1955 |
Dahlberg, Inc.社は“D-10 Miracle-Ear”と呼ばれる最初の耳穴式補聴器を発表。
補聴器の全ての部品は本体内に納められ、完全に奥まで入らないまでも耳穴に入れて使用するもので、重さは電池を入れた状態で約14.2g。同社は後年、Miracle-Earと社名を変更。 |
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1955 |
恐らく耳に取り付ける形の最初の製品と考えられる補聴器で、誂え品となっていますが耳に入れるというよりは正に耳に取り付けるようにして装用。使用時は耳から飛び出したような形になる。 |
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1955 |
Leonard Davis, American Hearing Aid Associationより
「5百万人の米国人が補聴器を必要としている。然るに装用者は125万人!
最近の調査結果によれば理由は九つあるが、最大のものは Vanity(虚栄、見栄)
だ。」 |
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1956 |
Horbugel
ドイツで製造されたヘアーバンド型補聴器。マイクとアンプはへアーバンドの上にあり、レシーバーとはコードでつながっている。 |
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1956 |
Dahlberg Model D-10 "Magic Ear"
Dahlberg Electronics社が3つのトランジスターを持つ耳掛け型補聴器を発表。 |
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1956 |
1950年代後半に初めて開発された耳掛け型補聴器は耳たぶの後ろに隠せ、又髪の毛でも覆い隠せ、イヤーモールド(耳栓部分)は使用者の耳型に合わせて作れるという理想的な補聴器として登場した。
電池も本体に収納されており、小型で装用が簡単で使い易い事から米国では瞬く間にメガネ型補聴器を上回る普及率を示した。
Zenith Diplomat
Zenith社の最初の耳掛け型補聴器は四つのトランジスターを持ち、本体の色は肌色が標準ですがグレーの髪の色に合うようライトグレーも用意された。重さは28g未満と軽く、宣伝文句は「ちっちゃく、羽毛のように軽く、耳に心地よくフィットする」となっている。 |
内部 |
1957 |
Telex 20
耳掛け型補聴器の初期の頃のもの |
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1957 |
特許を取得した美容院で用いられる補聴器(Ear Trumpet)を組み込んだヘアドライヤー。 |
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1957 |
Slimette
ベルトーンのメガネ型補聴器で、3つのトランジスターを使用。 |
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1957 |
Sonotone モデル400
Sonotone社が最初に発売したメガネ型補聴器で4つのトランジスターを内蔵し、自動音量制御装置を持つ製品。
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1957 |
「驚くべき補聴器の進化」がSonotone社のモデル222発表当時の新聞でのキャッチフレーズ。
新作耳穴式補聴器、モデル222(女性が右手に持つ製品)と12年前の同社の製品(左手に持つ製品)を比較し、その小ささと軽さを強く打ち出している。
「1945年製の補聴器は重さが約567gあり、本体も大きく、体に装着し、電池は体や足に結わえ付け、イヤホンには太いコードが付いていたものが、12年後には重さは40倍も軽くなり(約14g)耳穴に収まります」、と訴えかけている。
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1958 |
Dahlberg D-14
世界初の太陽電池補聴器とラベルに記されたメガネ型補聴器の枠で、枠の上に乗ったようなもの(写真では下側)が太陽電池で、充電すれば数日間は使えた。太陽電池が使えない時の為のバックアップ用に通常の電池も備えている。
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1959 |
Primo Ph-3k
日本製の3つの真空管を使った補聴器でキットになっており、ハンダで各パーツを組み立てて作る補聴器。 |
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1960年代初頭 |
ベルトーン 15A
ベルトーン社の聴力計で純粋な音、さえずり音、話し声、マスキングが出せ、マイクや蓄音機、テープからの音の入力も出来る。 |
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1960 |
このトランペット型補聴器は1960年に作られ、今も尚ヨーロッパで販売されているもので、折りたたみ式になっており、お椀のような部分はプラスチック製。それ以前の同タイプのものは金属製か又はその上に革を貼った作りとなっている。 |
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1960 |
ベルトーン「クラシック」
ベルトーンは1955年にメガネ型補聴器の最初の器種を発表したが、その5年後に3〜5つのトランジスターを持つ「クラシック」が発売された。 |
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1960 |
ダナボックス「ロイヤル」
1955年に初めてのメガネ型補聴器を発売したダナボックスは1960年にこの「ロイヤル」を発売。 |
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1960年代 |
ラジオ型補聴器
補聴器のカモフラージュの最も工夫に富んだデザインとしてはラジオそっくりの補聴器が挙げられます。当時のラジオ型補聴器はさしずめ今日のiPodか。 |
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1961 |
Otarion ECA-1
Otarion社にとって初の耳穴式補聴器となった。 |
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1964 |
Zenith Arcadia
集積回路(IC)を使った最初の耳掛け式補聴器、“Arcadia”が発表された。 |
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1965 |
Earmaster 550 Golden
金色色に輝くオーダーメイドの耳穴式補聴器で重さは僅か7g。 |
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1967 |
Hush-Tone x-700
説明によれば「音を大きくし、雑音を減らす効果がある」とあり、耳に挿入して使用する。 |
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1969 |
ドイツMaico Electronics社の関連会社であったWillco社が指向性マイクを搭載した最初の補聴器を発売。 |
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1970 |
Pedientes
女性にピッタリのイヤリング型補聴器。本体を耳に留め、レシーバー(写真には写っていない)を耳に入れて使用。
それぞれが3つのトランジスターを使用しており、大きさは直径2.7 cm、厚さは1.7
cm。スペイン製 |
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ハイブリッド補聴器
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1977 |
デジタルとアナログ回路を併用したハイブリッド補聴器が特許を取得。しかし、実用的な製品の販売が行われたのは1986年。 |
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1977 |
水銀を一切用いない空気亜鉛電池が開発される。より小型のマイクとスピーカーの開発と相まって小さな空気亜鉛電池が耳穴の奥に入るような小型の補聴器の開発に貢献。 |
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1983 |
耳穴の奥に入るような耳穴挿入型補聴器が開発された。1989年には同タイプの補聴器は耳穴式補聴器全体の20%強を占める。 |
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デジタル補聴器
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1950年代後半から1960年代にかけて耳穴式補聴器、1980から1990年代にかけて更に小さな耳穴の奥に入る補聴器が開発されます。
これにより人類の悲願であった「小さく、耳穴の奥に入り、良く聞こえ、人目に付かぬ」補聴器がここに完成します。 |
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1983 |
最初のデジタル補聴器(wearable digital hearing aid)をAudiotoneが試作。試作品は耳掛け型でA/Dコンバーター(アナログからデジタルへ変換)、DSP(デジタル信号処理)及びD/Aコンバーター(デジタルからアナログへ変換)を持つ。 |
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1983 |
集積回路、指向性マイク、空気電池等のお陰で補聴器はより小型化され、より良い聞こえが提供出来るようになった。20世紀後半には技術革新が広告、宣伝の主たるテーマとなっていますが、1950年代と同様、多数の著名人や俳優が起用されており、レーガン大統領が補聴器を耳に公の場に現れるようになった1983年には補聴器の販売台数が増えています。 |
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1986 |
デジタルチップを内蔵する最初のハイブリッド補聴器が市販され、使用者の聞えへの適合性を大幅に高めるものとなった。 |
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1987 |
“Phoenix”と名付けられた最初のデジタル補聴器(digital hearing instrument)がNicolet社により発表。本体は携帯型となっており、マイクは耳の部分にあり、製造されたが試作品段階止まりとなった。 |
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1987〜
1988 |
最初のデジタルプログラマブル補聴器が1987年にはBernafon/Maicoより、1988年にはワイデックスより発売。従来のアナログ電気回路を用い、専用端末で調整を可能とした。
ワイデックスの“Quattro”は使用者がリモコンで種々の設定や変更が出来る仕組み。 |
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1988 |
Knowles社のレシーバーが公表。この製品は耳穴の奥に入るような小さな補聴器の開発に貢献。 |
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1989年 |
K-AMPと呼ばれる集積回路のアンプが開発された。入力信号のゆがみを軽減する特徴を持ち、1998年にはプログラマブル版が実用化。 |
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1990年代 |
補聴器メーカーは宝石をちりばめた装飾品や芸術品のようにデザインした補聴器を作り始め、花や葉っぱをかたどったものや抽象的なデザイン等様々な補聴器が登場。
様々な色合いの補聴器も登場。
イヤモールドもカラフルでデザイン性に富むものが見かけられるようになった。
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1990 |
Resound Corporationが高音域と低音域の音を別々に調整できるマルチバンド コンプレッサーを開発。 |
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1991 |
デンマークのオーチコン社が“MultiFocus”と名付けた初の自動音量調節機能付補聴器を発表。 |
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1992 |
デンマークのGN Danavoxが純粋なデジタル補聴器ではないもののDSP(デジタル信号処理)を持つ補聴器(digital
hearing instrument)を開発、最初の市販品となった。 |
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1993 |
スターキィとArgosyが完全に耳穴の奥に入る補聴器を発表。
スターキィ社の耳穴の奥にまで入る極小補聴器、Tympanetteで、5セント硬貨(米)大の小ささとなっている。 |
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1994 |
米国のMaico社がRD301と呼ばれるプログラマブル耳穴式補聴器を発表。 |
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1996 |
シーメンスがプログラマブル耳穴式補聴器を発表。 |
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1996 |
ワイデックスが初の完全デジタル補聴器、Sensoを発売。 |
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1996 |
オーチコンが100%デジタル耳掛け式補聴器、DigiFocusを開発。 |
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1996 |
米国ではオーダーメイド型補聴器が全体の約8割を占めるようになった。 |
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2005 |
補聴器の調整に於いてはDSP(デジタル信号処理)方式によるものが約9割を占めるようになり、従来のアナログ方式は1割程度となる。 |
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2006 |
テレコイル(T−コイル)対応機能を持つ補聴器の使用者の為に米国では電話製造メーカーに最低二機種はテレコイル機能を保有する電話機の製造を義務付けた。 |
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2006 |
今日見られる代表的な補聴器。
(1)耳奥挿入型 (2)カナル型 (3)ミニカナル型 (4)耳掛け型
全世界では難聴者の数は凡そ5億6千万人と推定されている。
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未来の補聴器
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ここでは英国のThe Royal National Institute for the Deaf (RNID:王立聴覚障害者研究所)の主催によりVictoria
and Albert博物館で開催された(2005年7月26日〜2006年3月5日)HearWear--The
Future of Hearing(補聴器具--明日の聴こえ)展で展示された「明日の補聴器」を紹介します。
主催者のRNIDによれば「英国では補聴器を必要とする人達は600万人程と考えられるが、実際の補聴器使用者は約140万人程度で、聴覚に障害がある人が勇気を出し、見栄えのしない補聴器を使う決心をするまでに、平均10年かかっている」。
「補聴器の開発には顧客が望み、顧客が好むデザインやファッション性、装飾性のある補聴器を作るという革新的な思考が強く求められているにもかかわらず、企業はこれに疎く、行動も伴わず、又十分な投資も行っていない。メガネ業界ではとっくに行っているのに」、と指摘している。
そして、「素晴らしいデザインを持つ様々な生活用品に囲まれている中で、補聴器のみがぽつんと取り残されているかのようで、デザイナーには誰もが使いたいと思うような魅力ある補聴器の創作を依頼した」、と語り、この意向を受けた製品が展示された。 |
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“Corona”と名付けられたこの補聴器は聞えの領域を設定することが出来、騒々しい環境ではその聞えの範囲を狭め、遠くの音を聞くときは拡大する事が可能となっている。 |
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ウォークマンやMP3プレーヤーや携帯電話等の音響機器が広く普及するようになり、「外界と遮断された世界に浸るのを好む人達にはピッタリでは」と開発された補聴器。 |
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様々な増幅能力を持つ補聴器をメガネと同じように店頭やカウンターに並べ安価に提供する補聴器として提案された“Enhance”。 |
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補聴器にファッションを!補聴器をファッション性に富み、魅力的なものとする為の試みとして、補聴器本体とそれを装飾するリングを組合わせたもので、リンクは別に何種類かあり、ファッションの一部としてその時の気分、洋装、装用する場所等に合わせ選べるというもの。 |
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“Goldfish”と命名された補聴器はメモリ機能を有し、常に10秒間の会話を記憶する能力を持つ。話が聞き取れなかったり、聞き逃した場合は、耳の所で手を振ればメモリ機能が働き、10秒前の会話が聞き直せる。
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“Decibel”補聴器は通勤時に利用する電車や地下鉄などの乗り物の中の騒音に毎日晒され、これが蓄積されていくと耳に悪影響があるので周囲の高音の雑音を低減する機能を持つと同時に、音を大きくすることも出来る。又、モバイルやラップトップ、MP3プレーヤーとも接続し、使用出来る。 |
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“The Beauty of Inner Space”は雑音を除去し、聞きたい音を大きくし、周りの環境へ適応する為のコントロール機能も備えています。カーボン素材で軽く、装飾品を意識したデザインとなっています。 |
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女性用としてデザインされた“Svara”は耳の後ろで髪の毛をたくし上げたり、ペンダントを上げたり下げたりする等の僅かな身振りや手振りに反応し、様々な調整が出来ます。 |
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補聴器の着脱方法を容易にするユニークな仕組みになっている“Soundspace”はデザイン性にも重点が置かれていると紹介されています。 |
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周りの雑音、騒音が大きくても明瞭に聞えるT-ループ技術を活用した“Table Talk”補聴器。 |
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展示会で最も注目を集めた”Surround Sound”はメガネの両枠に四つのマイクが埋め込まれそれぞれのマイクが捉える極僅かな音の伝わる差を分析し、立体的な聞こえを実現する補聴器。マイクは使用者が見ている方向から来る音のみを集音する仕組みとなっている。 |
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補聴器を楽しむある試み
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2007年
4月
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我国のみならず、世界的にも初の試みと思われる、補聴器用アクセサリーのモニターが始まりました。
アクセサリーは補聴器業界とは無縁のプロの宝石デザイナーによる本格的なもので、市販の補聴器に取り付け、女性の耳元を引き立て、補聴器と共におしゃれも手軽に楽しめます。
詳細は「補聴器ジュエリー」をご覧下さい。 |
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