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更新2024年3月3日
2024年3月  20240302新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が2023年5月8日に2類相当から5類に移行したことを受けて、6年ぶりに関東パラ仲間の新年会がでか鈴さんにより招集され、いつもの横濱中華街台湾料理の「新館青葉」で久しぶりに仲間が顔をあわせてパラ談義、大いに盛り上がる。
(写真提供デカ鈴さん/矢田貝さん)

1997年12月
DKクリスマスカップイン朝霧のオープンクラスでUPソウルに乗った村松が優勝。この時のタスクを約90分でゴールしたことから、永井インストラクターによるクロスカントリーコースの卒業タスクのゴールが90分以内と決められた。原島(UPソウル)3位、東野(UPビジョン)6位。(クリックすると拡大できます→)
1998年11月 第1回DKスカイジムSPSカップで森(UPブルース)が8位に。東野(UPブルース)は初日得点ゼロ、二日目最終パイロン到達前にフイルム切れとなり、目標に向かいながら上空でフイルムを交換、健闘したが39位。村松は48位。
1998年11月 クラブの名称「シルバーイーグルス」パラグライディングクラブが、スカイジムカップ二日目(11月3日)のメンバーによる会合で決定。「シルバー」はシルバーメダル、いぶし銀の意味。
1999年 2月 第一回総会民宿旅館「明石」にて開催。シルバーイーグルス憲章制定。
シルバーイーグルスワッペンシルバーイーグルスロゴ(平井氏原案、プロフェッショナルデザイン仕上げ大谷オッシー直子)を制定し、わっぺんを作成、メンバーに配布。
1999年 3月 東野が積雪30センチの毛無山標高1,735m地点にリザーブを投げてツリーランディング。ツリーラン二度の記録を作る。登山者の足跡をたどって麓村へ下山。
1999年 4月 森技術担当が天子ヶ岳往復一番乗り。
1999年 6月 第2回DKスカイジムSPSカップイン朝霧で東野(UPブルース)が84人中24位に、森(UPブルース)は54位。
1999年 6月 エリアで知り合ったイギリス人をガイドにフランスアヌシーへ手作りの遠征ツアー。東野、森、村松が順にLes Dents de Lanfonをトップアウト、アヌシー湖を横断して対岸のキャンプ場そばにランディング。帰国後「アヌシー遠征ツアードジ集」を作成配布、好評を博す。(写真:飯盛提供)
2001年 7月 鮎釣り名人でもある森技術担当持参の串焼き天然鮎にDKスカイジム朝霧メインランディング前で舌鼓をうつ。
2001年 9月 青年部メンバーとなる新木の引率で北海道ルスツ、イタンキ浜へ遠征ツアー。地元熟年パラグライダーパイロットクラブ「おやじーず」のメンバーと懇親を深めネットワークを構築。
2001年12月 tonbicup2001DKスカイジム朝霧でシルバーイーグルスカップを開催。
35名が参加。
2002年 3月 月刊「パラワールド」誌4月号(イカロス出版)の「NEWクラブ探訪」でシルバーイーグルスパラグライディングクラブが紹介される。
2002年 4月 JHF広報出版部員として東野がボランティア登録。
2002年 4月 「パラグライダーにチャレンジ」2002-2003号(イカロス出版)にシルバーイーグルス登場。
2002年 5月 北海道「おやじーず」朝霧エリア来訪、歓迎会開催。
2003年11月 シルバーイーグルスロゴの「DK ASAGIRI」を「ASAGIRI」に変更。
2003年11月 シルバーイーグルス青年部中島牧場(ハートランド朝霧)にて発足祝賀会。
2003年12月 シルバーイーグルスロゴのステッカー作成。
2004年 1月 永井師匠現地引率の台湾賽嘉(さいちゃ、屏東県)遠征に村松と東野が参加。 二日目の1月7日、永井師匠先導でクロカンゴール「青山温泉」を目指し順調に距離を伸ばしたが、途中東よりに伸びる尾根をとった村松が高度ロス、本来のルート上に戻ってかなり粘ったが高度を回復できず、小さな村の小学校近くへ無事ランディング。 東野はなんとか師匠の後に続き飛行を続けたが、大きな谷を超えてあとワングライドという地点で高度ロス。ギブアップを伝えると師匠が付き合ってくれて新発(シンファ)という村の河原に共にランディング。
2004年 5月 韓国南部のハドンで開催された第一回FAIパラグライディングアジア選手権に東野が日本チームのサポートスタッフ(兼英語通訳担当)として参加。
2004年 6月 「シルバーイーグルス主催飲み会メインイベント、中島牧場メインランディングを目指す」を開催。
2004年 7月 永井師匠引率のスペインカステホン遠征ツアーに参加。「スペインカステホンパラグライダー遠征ドジ集」作成配布。
2004年 8月 8月27日、シルバーイーグルス憲章を一部改定。(1999年2月27日制定)
  1. 朝霧パラグライダーエリアをベースサイトとし、パラグライディングを通じて親睦を図る。
  2. 50歳以上でパイロット証を有し且つ品行方正な者を入会資格とする。但し女子は年齢を問わないものとする。
  3. フライト以外でもヤングフライヤーの模範となる。
  4. エリアが主催する行事には奮って参加する。
  5. 安全及び技術の向上に努め、スタ沈山沈は行わない。
  6. スタ沈山沈の救援隊には体力の続く限り参加する。
  7. リバース(クロス)でのテイクオフと同様フロント(フォワード)でもテイクオフする。
  8. 会長は一人置く事にするが他の会員はすべて副会長とし、それぞれ積極的に発案、提案を行いそれを実行する事とする。
2004年11月 シルバーイーグルスメンバー有志でタンデム機(UPシェルパ、中古)を購入。
2004年12月 シルバーイーグルスパラグライディングクラブが中島牧場新館設備資金に一部分出資し新館の名称命名権を獲得、「シルバーイーグルスの館」と命名。
2005年 1月 台湾賽嘉遠征ドジ&ラッキー集作成配布。
2005年 2月 東京MXTV30分番組「アスリートの肖像: ベテランパラグライダーチームシルバーイーグルス - 空を飛ぶ夢を見た」に村松が主演、仲間と空を飛ぶすばらしさを語る。 (製作アイルムービー、スポンサー青汁HAC)
2005年 7月 北海道遠征ドジ&ラッキー集作成配布。
2005年 9月 シルバーイーグルスロゴ刺繍入り帽子を作成。
2005年12月 シルバーイーグルスとその仲間の関東組が忘年会をホテルオークラで開催。
2006年 1月 台湾賽嘉遠征ツアードジ&ラッキー集作成配布。
2006年 7月 東野が天子ヶ岳をとっての帰り、再度鷹デッキをトップアウトし400TO上空に戻るべくターンをした際に峰の西側に「スリップ」して高度をロス、鷹デッキレベル以下となり、雨ヶ岳〜毛無山登山道西側、鷹デッキと大見岳中間の熊笹地帯に不時着(12時半頃)。グライダーを回収後昼飯を済ませ、登山道まで担ぎ上げて大見岳へ。毛無山手前で回収に来てくれた中島氏にグライダーを託し、毛無山山頂経由麓村へ下山開始。5合目あたりから膝が痛みだした左足を引きずりながら、ヘッドランプの明かりを頼りに下山できたのは午後7時40分頃。青年部の冷やかし交じりの出迎えを受ける。写真はグライダーを担ぎ上げた登山道から見た毛無山(手前)とはるかかなたに見える天子ヶ岳。
2006年 8月 森技術担当、自ら釣り上げたものを含めて大漁の天然鮎を持ち込み、中島牧場で鮎パーティーを開催。
2006年 9月 ブルガリア遠征ドジ&ラッキー集作成配布。
2007年 1月 東野、台湾賽嘉航空公園TOからのクロカンルート距離37.7km北にある青山温泉休暇村(川沿いの赤い屋根)へゴール。飛行軌跡合計距離77.4km、ターンポイント13の新開山1,117mで最高到達高度1,610m。テイクオフからの飛行時間2時間23分。平均速度32.4km/h。 (→クリックすると大きくなります。)
2007年 8月 村松、ランディングのためのファイナルグライドに入る直前、「タンデムのランディングアプローチを優先するため」の旋回で小山裾に突き刺さり、腰椎圧迫して前回(2006年11月)と同じ病院に入院。
2007年 8月 森(技術担当)、サットの練習中フラットスピンに入り、回復操作のフルストール後ヘリコプター状態に。再フルストールも回復なくツリーランでそのままアスファルト舗装道に落下。痛みをこらえてバイクで帰宅。これでツリーラン三回目の記録
2008年 2月 JHF事務局に東野がパートタイマーとして週2回勤務を開始。JHFウェブサイトの更新等を担当。
2008年 4月 山口(シルバーイーグルス青年部)、スカイ朝霧テイクオフから10時10分離陸後、西富士で高度2,000m、毛無山上空2,200mを経由して河口湖へクロカンフライト。黒岳で高度2,981m到達後河口湖エリアのLDに無事ランディングしてゴール。猪之頭〜三つ峠まで距離30km、フライト時間2時間50分。
2008年 5月 転勤先の大阪市から飛びにきた青年部新木と入院・リハビリから出てきた村松を歓迎して、朝霧の飛び仲間と一緒に中島牧場でバーベキューパーティー開催、 翌日ホームエリアで久し振りの集合写真。(田中康之氏提供)
2008年11月 原島(NIVIUK ARTIK、シルバーイーグルス青年部)、パラグライディングアキュラシーワールドカップ in Asagiri に出場して健闘、ハンディキャップクラスで2位入賞。
2009年 3月 青年部新木夫妻を激励するため大阪遠征ツアー。通天閣、串カツ、道頓堀散策の後、うどんすきの美々卯にて新木夫妻、木村夫妻とともに晩餐会。翌日朝は大阪城見学後、コリアンタウン鶴橋の焼き肉で締めたそうな。(写真提供新木)
2009年11月  2009朝霧カップJ2で初日(28日)Task1の21.2kmで森が1位、青年部山口が4位に。オープンクラスでもそれぞれ2位と6位という活躍。翌日29日のTask2デュレーション&ターゲットでは山口が4位、森が6位と健闘。総合で山口3位、森5位に。
2009年12月  シルバーイーグルスとその仲間の関東組、この年の忘年会は場所を横浜に設定して、中華街「華正楼新館」で開催。二次会は「ウインドジャマー」でジャズ演奏と超ビッグな司令官バーガーを堪能、関内に移動してオールディーズライブハウス「リトルダーリン」でディスコの三次会までよく頑張りました。若さを分けてもらったこの勢いで、シルバーイーグルスは来年も飛び続けるか。
参加者の“若手”8人は早めに集合、この機会を利用して元町、港の見える丘公園、横浜港ショートクルーズ、みなとみらい、中華街を観光。
2010年1月  当サイト掲載「ドジ集」(村松副会長による労作)が「パラワールド」誌編集担当者に評価され、そのなかの「アヌシー遠征ドジ集」のハイライト部分が、2010年2月号(2009年12月30日発売)連載シリーズ「やっちまっただ」(96頁)に掲載される。
2010年12月  シルバーイーグルスとその仲間の関東組による忘年会はアンコールに応えて横浜中華街で開催。「華正楼新館」で飲み放題豪華中華料理の後、ジャズカクテルラウンジ「ウインドジャマー」でジャズ演奏を聞きながら談笑。この年は三次会なし。
2012年7月  帰省中の新木伸洋を冷やかすために久しぶりに中島牧場でシルバーイーグルス主催バーベキュー開催。
2013年6月  シルバーイーグルス仲間の一人、川嶋氏が墨田区業平にオープンした鷹とみみずくの店「鷹乃眼」開店祝いにかこつけて昔の仲間と再会。

   

2013年11月  シルバーイーグルスパラグライディングクラブ結成15周年を記念して「永井亭」に集合、「中締め」の宴会を開催。永井師匠によるすばらしい料理を堪能しながら、メンバーそれぞれによるこれまでの活躍、海外遠征、ドジ集、などの話題で大いに盛り上がった。(photo courtecy of Tsuyoshi Okuyama)

   

2018年2月  でか鈴さん招集のパラ仲間新年会にシルバーイーグルス関東在住が参加。恒例の横浜中華街「新館青葉」の台湾料理と紹興酒で大いに盛り上がる。横浜で46年の老舗バー「BAR NORGE」での二次会にも参加。(写真提供でか鈴さん)

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