TOMさまの面影もとめて
北からから

<公演編>

mikaさまの「忠輝最期の地を訪ねて」
トドキさまの 「江戸無宿」奮戦記 
ト音記号さまの「武相荘」&「旧岩崎邸」訪問記
 AMANさまの「南太平洋(画像が大きいので別ページが開きます)

mikaさまの「忠輝最期の地を訪ねて」 ( 03/10/07 09:20:17 )
題名を見てなんだろうとお思いになったと思いますが(^^;)
10月4日、5日と新潟の上越、長野の諏訪に行ってきました。そう!!名付けて『野風ツアー』
新潟の上越には忠輝が築城し、五郎八と過したであろう『高田城』。
長野の諏訪には忠輝が晩年を過し、93年の生涯を終えた『高島城』。そして、
忠輝の菩提『寂林院殿墓』や名笛『乃可勢』が納められている『貞松院』を訪ねました。
CSの『名作の旅』をご覧になった方は分かると思います(笑)
初めて訪れる地ということもありますが、何よりも忠輝所縁の地に行ける事が本当に
嬉しくて・・・(*^^*)旅の初めから張り切ってました(笑)
 
初めに訪れたのは高田城。高田城には天守閣がなく、石垣が積まれていないのが特徴です!
今残っているのはとても大きくて一面睡蓮で覆われている外堀と、アサコちゃん!!
ではなかった(笑)黒鳥が棲む綺麗な内堀(思わず『アサコが居る!!』って叫びました)
本丸に続く美しい極楽橋そして高田城のシンボル三重櫓です。
三重櫓から望む美しい景色を見ていたら、殿が遠くを見つめ、優しい微笑を浮かべながら
五郎八を傍におき、肩を抱いている光景が頭に浮かびました。(*^^*)
自分は五郎八気分です♪(笑)
 
二日目は忠輝最期の地、諏訪に行きました。お天気も良く諏訪湖がとても綺麗でした!!
位置的な事もあり、初めに忠輝の菩提寺である貞松院へ。
忠輝の墓碑は寺の奥深く、杉の木立に守られながら静寂の中に凛と佇んでいます。
忠輝は“おこり(瘧)の神様”と言われ、墓にお参りすると病気が治ると言われているそうです!
それは神父ソテーロから西洋医術を学び、妙薬を効かせたからではないかと。
そして、今回の旅で一番と言っていいほど見たかった『野風の笛“乃可勢”』・・・・・・・・・
実は見る事が出来なかったんですぅ(;〜;)“乃可勢”他、忠輝公の遺品は本来、貞松院本堂に
奉ってあるそうなのですが、只今本堂は改築中!!(笑)遺品は大切に蔵に保管してしまったそうな。。
私があまりに落胆していたのか(笑)住職さんはお寺のパンフレットを持ってきて下さり、
『もし、またお時間がありましたら工事が終了してから是非来てください』と言ってくれました!
っが!!こんな遠方に簡単には来れないのさ住職様。。(^^;)
そして笑えたのが住職さんの『もしかして宝塚のぉ〜^^;』のお言葉!!
m『えっ!バレバレでしたか!?>皿<;』(苦笑)
m『やはり宝塚を観て来られる方が多いですか??』
住『いやぁ〜公演が始まってからは多いですねぇ〜野風の笛を見せて欲しいと。』
m『私も是非拝見したかったですが、残念です。』
住『申し訳ないです。乃可勢は劇では横笛らしいですが、本当は縦笛なんですよ!
  宝塚の人が来た時、縦笛では絵にならないので(TOMさんなら何でも絵になるのに!)
  横笛にしたいと言ってきたんです!(笑)やはり横の方が絵になるんですかね!?^^;』
m『(きっと谷先生が言ったんだぁ。宝塚の人ってTOMさんは来たのかなぁ??)そうなんですか!?
  劇中では残念ながら笛は吹いていないので、縦か横かは分かりませんねぇ〜。』
住『一節切(ひとよぎり)と言って今ではこの笛を吹くことが出来る者がいないんですよ。。』
m『残念なことですね。(TOMさんが来たのか知りたい私)あのぉ〜出演者の・・・』
住『すみません!!今から出かけますので。申し訳ないです(^^;)本日はご苦労様でした。』
m『(えぇ〜〜(涙)TOMさんはぁ〜????)・・・・・・・・・』
 
実は住職の横には6歳〜8歳くらいの男の子と女の子が可愛いリュックを背負いパパとのお出かけを
今か今かと待っていたのです!(*^^*)住職様もチノパンにトレーナーといったとっても
ホリデーな装いでした!!邪魔してごめんね♪♪(笑)
 
その次に忠輝が晩年を過した高島城へ。
高島城には忠輝に関する資料や遺品は全くありませんでした。忠輝は高島城、
“南の丸”に幽閉され、全く外に出ることを許されなかったそうです。
南の丸には警察と消防署が一つになったような番所が設けられ、
常に忠輝を監視していました。高島城内の資料室で見た当時の高島城図には、
本丸から唯一の出入口が通され、周りを堀に囲まれ、隔離された南の丸が画かれていました。
何か晩年の忠輝の孤独さが伝わってくるようなとても寂しい気持ちになってしまいました。。
それでも忠輝はこの南の丸でお茶をたてたり、能をやったり俳句をして優雅に過したそうです。
そしてこの南の丸を出ることなく、ここで93年の生涯を終えました。
 
今回忠輝所縁の地を訪ね、忠輝への重いが一層強くなったように思います。
花組公演『野風の笛』を観た事で忠輝に興味を持ち少しですが忠輝のことを理解できて良かったと。
上越も諏訪もとても美しく良い所ですので忠輝所縁の地を訪ねながらの旅もいいですよぉ〜♪(*^^*)
 
※長くなってしまいました。読んで下さった方、ありがとうございました!
                                                            
                                   mika

トドキさまの 「江戸無宿」大作戦 (2005年9月)
【江戸無宿】   三幕   作:榎本滋民
 
 この戯曲はフランス映画「望郷(ぺぺ・ル・モコ)」(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品)の翻案である。
 北アフリカ、仏領アルジェリイの魔窟カスバを日本長崎の唐人屋敷に置き換え、パリジャンならぬ江戸生まれの怪盗を登場させてみた。          
                                                       −作者−
 
●「原作読みたい病の私」  
    ●『江戸無宿』の本を追い求めました。
 
●「見つかりません… アー」 
    ●「古本屋あさり病の人に頼みました」。
      ○「あったわよ! 榎本滋民作。でも『江戸無宿』は入っていないわよ … トホ…」。
 
●「或る方より或る日、情報が入りました…ホ…」  メメコさま 注、、お喜楽座関係の方です。

●「すぐ行動開始」。

●「104へ、モシモシ。歌舞伎座前の松竹映画館お願いします」。
      △「エッ?映画館はありませんよ、松竹劇場株式会社なら」
      □「そこへTEL。 ここではありません、大谷図書館です」。
 
      □「優しそうなお兄さん、番号を教えてくれました」
●「ヤッター 高鳴る胸」。
      ■また優しそうなお姉さん 「大きい台本か小振りのもの、どちらに?」。
●「小さい方に、アノー、本としては出版されていないのですか?」。
      ■「ないと思います。ペペ・ル・モコのストリーに似せて戯曲化したものです」。
●「チョッと残念! でも、あって良かったです」。
      ■「でも、どんな目的で?」。
●「私、轟さんのフアンなんです! コレコレ コウイウワケで… ちょっと得意げに」。
      ■「ではコピーして送りましょう、900円です」。
 ●「みなさん ありがとう!」
    「そして三日後にコピーが届きました」。


早速コピーを製本し、表紙は伊佐次さんの絵を貼り、私の原作読みたい病も快復したのです。
    メメコさま注 「with yu」展のsakikoさまのお葉書を拝借

                 
 
 配役名を見て面白や! 「伊佐次」は「卯之助」、「卯之助」は「根作(アダ名 ヌケ作)」
「おしま」は、「おくめ」、 「らしゃ」は「びろうど」。
 
宝塚版は場面もセリフもさして変わらず、大いに違うのはラストシーン!。
 −−伊佐次、落ちていた短銃を拾いあげざま、わが胸に打ち込み倒れるーー
あの「ぺぺ・ル・モコ」から「江戸無宿」へ。そして「長崎しぐれ坂」の華やかな舞台に仕上げた人たちに脱帽。       
                    

                                      

ト音記号さまの 「武相荘」&「旧岩崎邸」訪問記   (2010/02/22)
武相荘は門の前に立つと,次郎さんが生きてらっした時代にタイムスリップした・・・
そんな錯覚に陥りそうな佇まいの,竹薮やたくさんの木々,花々に囲まれた素敵なお住まいでした。
「白洲次郎と正子の世界展」で,お住まいの展示には「隠れ里」と記されていましたが
まさにその名にぴったりの雰囲気。
お庭には梅と何種類もの椿が咲いていて,冬のお庭を彩っていましたし
その根元には水仙の芽もたくさん芽吹き,春の訪れが近い事を告げていました。
いつも四季を感じさせるようなお庭を・・・と思っていらっしゃったのでしょうか。

母屋の方も重厚な雰囲気で,それでいてどこか温もりのあるお部屋や調度品の数々。
轟次郎さんが座られたらピッタリ!なソファーから(笑),
そうそう,次郎さんがマッカーサーに送られた椅子のレプリカも置いてありました。
あぁ。。。大和さんマッカーサーとの友情,心の通い合いには心を打たれ,涙が止まりませんでしたねぇ。

そして旧岩崎邸。
こちらは今大河をやっているからか,訪れる方がとても多かったです。
道路からはお屋敷が全く見えないのですが,
門を入ってお屋敷までの砂利道を200〜300メートルでしょうか進むと
目の前にどぉ〜んと洋館がそそり立っている・・・そんな感じを受けました。
外観にも階段の手摺にも柱にも天井にも装飾?彫刻?が施してあってと〜っても豪華絢爛。
そして和館には,欄間やあれは釘隠しと言うのでしょうか? そこに三菱のマークが(@ @)
そしてそして和館を出たところに轟弥太郎さんが座って鳥に餌を与えてらっした
そっくりの縁側も見つけてちょっと興奮気味のト音(笑)

とにかく武相荘でも旧岩崎邸でも思い出すのは轟次郎さまと轟弥太郎さん(笑)
轟さまに思いを馳せ当時の舞台を思い出して幸せ気分でございました。

それにしても・・・
どちらも○H○で放送された為でしょうか,そのお写真が飾ってあったのですが
ぜひぜひ轟弥太郎さんと轟次郎さんのお写真も飾っていただきたいな・・・なんて思ってしまいました。
岩崎邸
<追記>冬の武相荘と出会った花々

やうこさまとお仲間の皆さまが訪問された時は新緑も美しい4月。
あれは,東京で轟さまなのか次郎さんなのか・・・と錯覚を起こすくらいの
素晴らしい公演が行われていた頃でございましたねぇ。
正子さんとご一緒に腕まくりなんぞされて出て来られた場面もありました〜。
皆さまのご報告とR.さまのおさしんに春を感じさせていただきました。
 (やうこの武相荘訪問記はこちら
今回は冬の武相荘でございます。   もうちょこっとお写真など。


長屋門

長屋門のお写真は撮る角度が悪かったのですが,もう少し右手から撮ると椿も写ったはず・・・(+ +)
門をくぐると紅梅と椿がお客さまを迎え,そしてその根元には淡い紫色のクリスマスローズが
まるでいらっしゃいませをしているように可憐に慎ましく控えめに咲いておりました。
武相荘HPの「花の歳時記」によりますと,写真の椿は第1ギャラリー前に咲いていた卜伴と
長屋門を入ってすぐの大唐子のようです。


 
卜伴(ぼくはん)



大唐子(おおからこ)

かと思えば,母屋前にはそれとは違う赤い椿と白い椿も咲いておりました。 
大っきなお写真を撮ってこなかったのでわからないのですがこれが黒侘助と侘助かしらん?

そして母屋の玄関前には松と桃のお花が飾ってありました。


母屋
(
庭師さんの背中の向こうに 松と桃が見えます。)


今では周りに田畑は見られず住宅街となっていましたが,
武相荘・・・ここだけは当時の面影を残し住宅街だと言う事を忘れる空間でした。
そしてご家族の生活を大切にし,お庭にも拘りを持たれている・・・そんな素敵なお庭で,
春・夏・秋にも是非訪れてみたい,見てみたいと感じる,そんな場所でした。

旧岩崎邸では門を入ると,まあとんでもなくすごい数のふきのとうがお出迎え(笑)
そしてここでは白いクリスマスローズが密やかに撞球室の横に咲いていました・・・が
お写真撮ってくるのを忘れました〜m(-  -)m



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