たちばなの散歩道 
奈良時代の昔から、川崎の大部分は武蔵国橘樹郡と呼ばれていました。日本書紀の中にその名が見えることから、たちばなはかなり早くから歴史の表側に登場して来たと言えます。ここには、縄文時代の子母口貝塚や奈良時代の創建になる影向寺をはじめ、数々の貴重な史跡や文化遺産が現存し、私たちのまち川崎の歴史の歴史と言っても過言ではないでしょう。

東急田園都市線/梶ヶ谷駅wc −550m→ 梶ヶ谷第一公園wc −800m→ 梶ヶ谷第三公園wc −250m→ 市民プラザ・昼食可wc −1300m→ 野川神明社wc −200m→ 影向寺 −200m→ 能満寺 700m→ 富士見台古墳 −350m→ 橘樹神社 −250m→ 子母口貝塚 −400m→ 子母口・バス停 −10分→ JR武蔵新城駅  行程5km  3〜4時間


 川崎市民プラザ
川崎市の指定都市移行を記念し、昭和54年5月にオープン。清掃工場の熱を利用した温水プールも有る。レストランでは洋食・和食・ビールが賞味できます。

 影向寺(ようこうじ)
縁起によると、天平12年(740)光明皇后の病がいえたのを記念して聖武天皇の願により行基が開基したとされ、当時の橘樹郡の政治、文化の中心で有ったようです。境内隅には影向か石が有り、近世には眼病治癒の霊石とされ、また薬師堂裏の大イチョウは市内屈指の古木で乳出しイチョウとして有名。薬師堂や木造薬師如来両脇侍像が重要文化財に指定されその他に木造聖徳太子像など数多くの市重要文化歴史記念物に指定されています。大事な文化財は防火のために立派なお蔵に保存されて参拝は出来ませんでした。山門には相当量の”ひのき”が使われその香りが心をアロマテラピーしてくれます。

 能満寺(のうまんじ)
もともと影向寺の塔頭(本寺を守る脇寺)で、のち天文年間(1532〜54)ここに移り、快堅により開かれたと伝えられます。本尊の木造虚空蔵菩薩像は仏師朝祐の作。木造聖観世音菩薩像とともに川崎市重要歴史記念物指定。

 橘樹神社(たちばなじんじゃ)
日本武尊東征のおり、海の神の怒りを鎮めるため」、尊の身代わりに海中に身を投げた弟橘媛の衣や冠の飾りが流れ着いた地と言われています。当社は名の通り津令制下における橘樹郡の守護社と考えられます。

 子母口貝塚(しぼぐちかいづか)
縄文時代早期(約7000年前)の貝塚で、多くの多摩丘陵の中で最古です。昔ここまで海だったとは誰も信じられないでしょう。

 
要所に有る道しるべ                   能満寺        橘樹神社                       子母口貝塚より東京方面