今も親しまれる柿生の村
明治22年に生まれた柿生村、柿の生産が多い事から名づけられたと言われます。柿生村は昭和14年川崎市に編入された事により、僅か50年で廃止されてしまいましたが、柿生の名称に愛着を持つ」人は多く、今も公共施設を始め柿生の名称が残されています。北原白秋にも詠まれた柿生の里を歩いてみては如何ですか。

小田急線・柿生駅 −500m→ おつ越し山ふれあいの森 −1100m→ 月読神社 −700m→ 籠口の池公園 −1000m→ 子ノ神社 −900m −早野聖地公園 −1000m→ 五郎池 −500m→ 虹ヶ丘こども文化センター −400m→ 琴平神社 −700m→ 王禅寺ふるさと公園 −裏門坂バス停・小田急船柿生駅/新百合ヶ丘駅/JR南武線溝の口駅行き  行程6km 4〜5時間

柿生の切り通し
昭和26年(1951)に川崎域として初めてのトンネルが開通した。このトンネルによって付近の人々が柿生駅にでるのに便利になった。昭和53年(1978)に現在の切り通しになった。

 麻生不動院
嘉永2年(1849年)王禅寺の末寺となったと言われています。木賊不動と呼ばれ、火伏せの不動として信仰されています。初不動の1月28日に行われるダルマ市では沢山の人々で賑わいます。

 神明社
神明は王禅寺村の鎮守五社のひとつです。祭神は天照大神・大国主命で入口谷戸の鎮守になっています。初めは後北条氏の家臣で有ったと言われる吉垣氏の社でした。

 子ノ神社
本宮で有る出雲大社の分霊を勧請して大国主命が祀られています・

 石橋供養塔と高札場
早野川の架けられていた石橋は文政12年(1829)に青戸伝治郎が中心となって、自殺した養女よしの供養のために作られた物である。又道をはさんで東側に高札場が有った。

 琴平神社
王禅寺の名主であった志村文之丞が文政9年(1826年)に讃岐の金毘羅の分霊を勧請し神名社と合祀したものです。現在は「柿生のこんぴらさん」とよばれ、人々に信仰されています。

 王禅寺ふるさと公園
市制施行60周年を記念する公園として整備されました。「水と緑のふれあい・ふるさと意識の熟成」をテーマとして整備を進めています。
流れ、展望台等があり、四季を通じて楽しめる公園となっています。

コースに有る市の案内板 柿生の切り通し 麻生不動院
神明社 石橋供養塔と高札場 子ノ神社
琴平神社 王禅寺ふるさと公園