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定年ぶらぶら生活記 |
力内 真生 |
第1話「テレビ三昧の毎日」 並の平凡サラリーマン定年退職若年組、小生の名前は畑中省三。毎日が日曜日になって数年が経とうとしている。子供はいない。退職して暫くは色々やることもあって、時間が経つのも早かったが、片付ける物もなくなると、テレビ以外に時間を費やす対象がない。 都内の文系の私大を出て、中堅製造会社の総務畑を33年間大過なく勤め上げた。55歳から定年の60歳までは、北海道の関連子会社に総務部長として赴任。女房は、冬季の雪と氷点下の世界での生活は勘弁してと、結局第二のサラリーマン人生を単身で送った。倒産やリストラ、吸収・合併が当り前になったこの激動のご時勢に、よくここまで無事に首を繋いでこれたものだと、有難い気持ちと同時に不思議にさえ思う。 元々、退職して時間ができたら、特別何かをやりたいといった気持ちがあったわけでもない。これといった趣味もない。およそ会社の総務担当という部署は、他社の状況はどうなのか知らないが、会社組織をつつがなく動かしていくための、言わば縁の下の力持ちというか、極端な言い方をすれば種々の雑用・駒使い的仕事が多い。経理や人事・労務管理といった専門的要素が希薄なだけに、退職後何処かに再就職しようと思っても、還暦を過ぎた人間を雇ってくれる所はなかなか見つからない。酒を飲んで上司の悪口、仕事の愚痴を零すことだけは長けたようだが、他の会社で役立つようなスキルは身についていない。というより、つけることもしなかった。それでも何とか首にならずやってこれた。 毎年4月になると、入社式での社長の挨拶や訓示が、テレビや新聞・雑誌等で紹介される。よく「会社は自己実現の場である」と聞く。自分は33年間何をやってきたのだろうか。自分にとって何が自己実現だったのか、意識しないままに年月を経てきた感じだ。 自分も理数系の頭があれば、大学も工学部に入って技術者の道を歩めたかもしれない。パソコンも満足に使えない機械音痴・情報音痴では、テレビと共に暮らす以外に諦める他はない。 ただ自分は団塊の世代ではない。退職は彼らより2、3年早い。テレビを見ていると、団塊の世代の大量退職のことや、退職後の生き方等の話題も多い。自然とそちらに関心が向く。 ベンチャー企業を立ち上げたい、ボランティアで地域デビューをしよう、趣味に徹底的に拘りたい、田舎で野良仕事をしながら晴耕雨読の余生を送りたい、海外移住して新しい世界を体験してみたい等々。団塊の世代の人達は凄い。本当なの? そんなに皆さん第二、あるいは第三の人生に夢を持っているのかと羨ましくなる。評論家も盛んに充実した第二の人生と経済効果を詠う。これからは、会社人間から地域イベント等に積極的に参加していくといった、地域デビューが必要だと力説する。 確かに省三は退職してから余り外に出掛けないし、数十年住んでいるマンションの住民とも交流はない。大体隣人がどのような人種なのかも知らない。都会のマンションではこれが普通であろう。地域デビューが第二の人生のキーワードだと言われても、省三にはピンとこない。逆にこのようなことを自由に言える評論家の立場が羨ましい。 更にテレビは、健康管理や予防医学といった話題にも事欠かない。幾つかの質問・回答項目に該当するものがあって、要注意と言われると慌てて横になっていたソファーから起き上がる。急いでメモ用紙とボールペンを持ってきて省三も同じようにやってみる。おっ、大丈夫だ、健康体だと安心する自分に、何をやってるんだと馬鹿馬鹿しさを感じるときもある。 テレビ画面のインストラクターの動作に合わせて、ソファーに座ったままで、両足を揃えてわずかに上げたりしている姿に、はっとすることもしばしばだ。 「あなた一体何してるの?」。突然買い物から帰ってきた女房が呆れた様子で脇を通り過ぎる。「家にばかりいないで、たまには散歩にでも出掛けたら。」と、半ば諦め声で台所から追い討ちが掛かる。それでも足上げ動作を小さくして、黙々と続ける。 女房もそのうち何も言わなくなる。女房は省三が退職する数ヶ月前から、近くのスーパーでパートをやり始めたが、自分で自由に使えるお金も増えるし、何より省三と一日中顔を突き合わさなくても済むことが、ストレス解消になっているようだ。 それにつけても、会社時代には見られなかった様々な番組に、当分飽きることはない。結構それなりの知識や教養が得られる。尤も退職してからこれらを身に付けても、およそ役に立つことはないのだろうが、これが心や感性を豊かにすると思えば、いやそれ以上にいろんなことを知ることは楽しい。 ある日の昼食時に、何か面白いことでもやっていないかと、チャンネルをリモコン操作していたら、大人のピアノの稽古場面が目に飛び込んできた。女房がパートに出掛ける前に作って、テーブルに置いてあった弁当を食べながら暫く眺めていた。 何と男性アナウンサーが女性の先生の指導を受けながら、ムーンライトセレナーデをぎこちなく弾いているではないか。たまに間違えると思いっ切り悔しがる。先生が指の送り方をゆっくり手ほどきする。生徒がその真似をする。これだ。思わず食事の箸を止めて画面に釘付けになる。生徒が中年男性アナウンサーという設定と、思いっ切り悔しがるその様が、妙に親近感と自分もやってみたいという衝動に駆られる。 どうやら男のための優雅な趣味講座の一環のようだ。幸いテレビの横には、当時結婚祝いにと、女房の親から贈られた縦型のピアノが、埃を被って狭い居間に大きな場所を占めている。 早速近くの本屋に出掛けて、新聞の余白をちぎって書き留めたピアノ教則本のタイトルを探す。表紙にグランドピアノの写真と、“世界の名曲を弾いてみよう”の大きな文字が書かれている。代金を支払って受け取るときは、店員の視線が何となく気になり、些か気恥ずかしい。自宅でゆっくり開いて曲目を見る。 知っている映画音楽の主題歌等もあって、ピアノに向かう前から何となくわくわくする。気持ちも新たにピアノに向かって、ムーンライトセレナーデの頁を開く。成程、音符をカタカナで振ってあり、使う指も数字で示してある。音符が読めなくても、指示通りに指を動かせば弾けるというわけだ。右手だけでぎこちないが、何となくムーンライトセレナーデに近い音が出ているような気はする。何度も最初の繰り返しのフレーズを弾いてみる。次のフレーズに移ると途端に指が動かなくなる。一つずつ音符を確認しながら鍵盤に指を当てていく。悲しいことに、中学校で習ったはずの“おたまじゃくし”同士の“間”の取り方がよく分からない。理屈の上では、これはこの音符の2倍の“間”を取るとか、この記号は半音下げるとか知ってはいるが、鍵盤上で白と黒を区別して考えながら指を動かすことは至難の業だ。そのうち指は引きつって痙攣し、手首が痛くなってくる。 そろそろ止めるか。半時も経たないうちに身体が休憩を求める。妙に喉が渇く。冷蔵庫のペットボトルからお茶を直接ぐい飲みする。ちょっとだけピアノが弾けた満足感に浸れる。毎日少しずつでも前進すれば満足と、勝手に緩い目標を決めてまたテレビのスイッチを入れる。 ところで昼食後、いつものようにソファーに横になってテレビを見ていると、たまに気持ちよくそのまま寝入ってしまうことがある。気が付くと夕方。ガチャガチャと玄関の鍵を開ける音に、慌ててピアノ教則本を抱えて省三は自分の部屋に駆け込む。女房がパートから帰宅したのを察知して、反射的にピアノ教則本を抱え込んだ行動に苦笑する。“自尊心を傷つけられる言葉を浴びせられるのが嫌”、というか、単純には“照れくさい”の一言だ。ある程度弾けるようになって驚かすのも面白いかもしれないと、まあこんな調子で省三の一日が終わる。 省三だけなのだろうか。退職しても矢張り企業動向や景気の状況は気になる。現役を退いてまだ年月が浅いからかもしれない。例によって朝のニュースに引き続いて、経済・株式番組を見ていた。キャスターがある女性社長を紹介している。日本企業の一般事務職を何年か経験した後に、見聞のため単身欧米に渡り、数年後に帰国して、当時まだ日本では存在していなかった業種を起業したと言う。一般事務職の女性の中にも凄い人がいるものだ。ただ感心するばかりだ。 見聞のためとはいえ、どうやってそう簡単に海外に行けるのか、言葉も分からないのにどうして行けるのか、生活はどうするのかといった、様々な現実的不安が先に立って、先ずそういった発想にならない。省三は勇気がないのだろうか。例え“しがらみ”のない独身のときでも、そのようなチャレンジングな積極的思考にはならないだろう。失敗して全てを失うほうが怖い。ここでは省三なりの価値観、考えで正当化を図り、自分自身を納得させる。「先がどうなるか分からないけどやってみました。」と言う女性社長の言葉には、成功者としての余裕すら伺える。一度しかない人生、結論はハイリスク・ハイリターンに例えたスタンスを強調していた。 経済がグローバル化した現代社会は、“虎穴に入らずんば虎児を得ず”が“果報は寝て待て”のスタンスを凌いでいるのかもしれない。 省三はパソコン操作やインターネット利用はやらない。極端なキーボードアレルギーであり、会社時代はもっぱら手書きと部下任せであった。それでも他人や部下に任せられない社内メールや正式文書は、時間がかかっても省三自身で処理しなければならない。その苦痛たるや筆舌に尽くせない。当然、退職して省三の部屋にもパソコンはない。女房もパソコンの生活には全く無縁の女だから、この点では波長が合っている。 兎に角最近のインターネット関連、携帯電話に関連するカタカナ言葉やサービスの内容等には、なかなかついていけない。よくもこんなに色々ビジネスモデルと呼ばれる商売を考えつくものだ。少なくとも会社に勤めているときは、周囲がそういう雰囲気にあったから、嫌でも耳に入ってきて何となく分かったような気になる。 退職した途端に日々の環境ががらりと変わるから、入ってくる情報も全く異質なものになるのはやむを得ない。その方面に向学心のない省三にとっては、益々疎遠になるのは致し方ないことと納得してしまう。 銀行や郵便局、区役所、はたまたスーパーやコンビニに行っても種々戸惑うことは多く、不便を感じながらもそれでも生活はできている。世間で言われる情報リテラシーの落ちこぼれ組かもしれないが。 第2話「散策もまた楽し」 結婚当初は、日曜日の午前中自転車でよく一緒に近くを走り廻ったものだが、ここ最近は退職するまで通勤径路の往復以外、ほとんど散歩することもなかった。 毎日が日曜日になって、初めて歩き廻ったのは花見の時期だ。月曜日の朝、女房がパートに出掛けたのを見計らって、そそくさと出掛ける用意をして、先ず千鳥が淵公園に向かう。地下鉄の九段駅を上がると、結構人が多い。平日の午前中だというのに、何と遊歩道は長蛇の列。リュックを肩に、帽子を被ったお年寄りがやたら目につく。何だ、年寄りの集団観光かと、省三も同類族の末席を汚していることを忘れて嘆く。ボランティアらしき案内の係員が、マイク片手に「立ち止まらないで下さい。」と、立ち止ってデジカメのシャッターを切っている歩行者に前進を促す。駐車場広場には観光バスも何台か並んでいる。いやはや、ただ行列に流されるばかりで、ゆっくり桜を鑑賞する余裕すらない。 一つ先の地下鉄の駅まで歩いて、今度は上野公園に向かう。恐らく、上野も千鳥が淵と似たような状況かもしれないと、今度はそれなりの覚悟を決めて公園に入る。隅田川のコンクリート土手の脇に細長く続く公園は、千鳥が淵と違って下町の風情を醸し出している。屋台から小腹の食欲をそそる匂いや、至る所に飾られた提灯が目につく。桜吹雪に混じって、一瞬砂を巻き上げた突風まがいの春風に目を覆う。だが千鳥が淵に比べて人出は思ったより少ない。土手の空いた所を見つけて腰掛けると、対岸には高架高速道路とビルが林立していて好対照だ。リュックを下ろして、ペットボトルのお茶を口にしながらビルをしばし見つめる。あのビルの会社も熾烈なシェア争いを演じているんだろうなあと、会社時代を思い出してじっとビルを見つめる。省三には千鳥が淵の雰囲気よりも、むしろこの公園の土手のほうが性に合っている。 “見上げれば、ビルの谷間で、誇示する桜”字余り。なんて性にも合わない俳句もどきすら沸いてくるから不思議だ。時間潰しに色々自己流川柳もどきの俳句を詠んでみる。 “名所見て、車窓に勝る、桜なし” “帰宅して、写真で眺める、桜かな” “突風に、桜も裾も、舞い上がり” “路地裏に、突き出た桜が、人を呼ぶ” “風情より、デジカメ覗く、花見かな” “一本の、桜開花で、路地賑わい” 気が付けば矢張りだんだん川柳になっている。自分の性格が出るものだと省三は思わず苦笑する。何と心地よい気分だ。こんな所で開放された気分になったのは初めてかもしれない。平日の昼間にこうして、オフィスビルをのんびり他人事のように眺めているからかもしれない。不思議な感覚に捕われる。 空腹のシグナルでふと腕時計に目をやると、既に正午を遥かに廻っている。近くの立ち食い蕎麦屋で駆け込んだ後、3番目の目的地、井の頭公園に向かう。 流石にいきなり3箇所も廻ると疲れる。途中で足がつったり膝が痛くなってきたので、大事を取って急遽帰宅に変更する。 当然その日は長風呂に浸り、早い就寝となる。またまた女房の忠告まがいの言葉が浴びせられる。「ジムに行ってなまった身体を再生したらどうなの?」。そうだな、お金を払ってジムに通えば一生懸命体力造りをやるかもしれない。 これまで気に留めていなかった毎日の新聞広告に、それ以降目を向けるようになった。自宅マンションから比較的近い所に、入会前の体験参加教室がある。早速出掛けてみる。受付では省三と同じように、体験参加する同類族が数人並んでいる。トレーナーに着替え、お互い何となく気まずそうな目付きで、無言の待ち時間に落ち着かない。やがて説明員がジム内を案内しながら、身体に合わせた幾つかのトレーニングコースを説明する。レオタード姿の若い女性インストラクターが随所で指導している。ちょっと胸が高まる。かなり年配の方もいる。器具を使って、黙々と汗を流している腹の出たおばさんもいる。プールもあって、そこでも黙々と歩いている人がいる。 帰宅してパンフレットに目をやりながら、入会を躊躇していた。プールならバスで数10分の所に区営の温水プールがある。毎月大枚をはたいて義務的に通うより、好きな時に安い料金で泳げるほうが気が楽だ。いかにも合理的に思える判断は、金銭感覚にシビアな会社人間延長線の悲しさかもしれない。いつの間にか内容のすり替えに自問自答しながらも、後者の結論に落ち着く。かくして、結局気が向いたときにしか出掛けないこととなる。 あるとき、いつものようにテレビを見ながらソファーに横たわり、両足を浮かして腹筋運動をしていたら、掃除機を使っていた女房が近くを掃除しながら、上げた両足を掃除機の吸い込み部で払いよけながら言う。「近頃散歩やジムに出掛けないけど、三日坊主?」。「急に色々やるとかえって身体を壊すからね。」。テレビに目をやったまま持論を返す。呆れた様子の女房は、掃除機本体を引きずりながら隣の部屋の掃除に移動する。 テレビを見ながら身体に良いことをする、いわゆる“ながら族”の精神を発揮するのが合理的で楽な方法だ。朝起きてからの省三流のラジオ体操は、これまで何とか続いている。 散歩も何か用事があるときにかこつけて、時間潰しを兼ねて近所の路地でも散策してみるか、ということに落ち着く。実際注意して歩いてみると、こんな所に小さな公園があったのかと驚く。お年寄りが孫と思しき子供をブランコに乗せ、前に立って微笑みながら小さく揺らしている。ほう、朝から孫の相手か。省三にも子供がいたら、何年か後の自分の姿かもしれないと思うと、少々寂しい複雑な気持ちになる。尤も例え孫という存在があったとしても、省三の性分からは間違ってもこういう光景が日課になることはないだろう。一瞬の寂しさを吹き飛ばして、省三流の納得と彼の性分が気分を転換させる。微笑ましい光景も、他人事として我が道を行くのが省三流と心得ている。 長年住んでいながら、近くに知らない光景が結構多くあるものだ。こんな街中に、個人まりとした神社があったりするのにはビックリする。石畳の先には鳥居があり、一休みするにはもってこいの場所だ。境内から周囲を見渡せば、高さがまちまちのビルやマンション、それに直ぐ裏は飲み屋街だ。 営業マンと思しき背広姿の男性が、アタッシェケースを膝の上に置いて石段に座り、盛んに携帯のボタンを指操作している。営業先での結果を会社に業務報告しているのであろうか。それとも携帯ゲームを楽しんでいるのであろうか。勝手に元会社人間の創造逞しきをさらけ出して、その男性の近くを通り抜ける。裏に出れば居酒屋が軒を連ねて、夜の喧騒を待っている。脇道を入って行くと、何と会社時代によく同僚と立ち寄った、激安の居酒屋チェーン店の看板が目に入る。そうか、この付近にも支店があるのか。今度機会があったらここを利用してみるか。場所を確認して頭の片隅に留めておき、帰宅してから早速メモして本棚の片隅に置いておく。これまで散歩というより散策して、新たに気になった所はメモに残してある。数ヶ月前のメモも置いてあるのだが、不揃いの用紙のため雑然としている。いつかノートにでも纏めて書いておこうと思うのだが、そのうち忘れてしまう。 平凡な毎日の繰り返しながら、矢張りテレビの影響は大きいと実感することはしばしばだ。新宿に新しいスタイルのラーメン屋が出店したと言う。長蛇の列を放映しながらリポーターが紹介している。そうだ、省三の住んでいる街も、昔からラーメンが美味しいと言われている地域だ。ラーメンのはしごをしてみたくなる。胃には無謀だが面白い試みだ。朝からたっぷり散歩して腹をすかせば、3軒ぐらいは廻れるだろう。 早速実行する。早足でこれまでと違った方向に歩いてみる。結構静かな場所がある。図書館だ。更に進んで行くと、周囲が住宅街で古い家も残っている。そんな間にぽつんと一軒、小さな店構えの豆腐屋や八百屋があり、駅前の喧騒とは全く違った情景に、時間が止まっている感じさえ受ける。住宅が途切れた所には畑が見える。野菜畑だ。よく見ると細かく区画されていて、○○様と名前入りの看板が幾つも立っている。育っているものも様々だ。そうか、家庭菜園畑か。土の香りがする畑の脇を急ぎ足で通り抜ける。 流石に汗ばんでくる。そろそろ方向転換して引き返すか。できるだけ来た道とは違った道を選択しながら、駅前付近を目指して歩き続ける。途中、首にタオルを巻いたトレーナー姿の、同類族と思しき年寄りとすれ違う。こちらには目もくれず、ただ黙々と歩いている光景は滑稽でさえある。 犬を連れたお年寄りに出会うこともある。できるだけ車の通らない路地を探して歩くのだが、高層ビルの見える駅前付近から遠ざかったりする場合もあって、なかなか近づけない。くたびれてくると車道に出て、目指す方向に修正する。再度安全な脇道に入って歩き、これを繰り返しているうちに、やがて駅前商店街に戻ってくる。 2時間以上も歩き続けていると、流石に腹が減る。少し早いが、昼時になって混まないうちにと、先ず1軒目を探す。別に何処が旨い店なのかを知っているわけでもない。何処の店と決めているわけでもないので、道路沿いの中華の看板の目立つ店に入る。店員の威勢のよい甲高い声が響く。既に数人の客がラーメンを啜っている。塩ラーメンを注文する。運動直後だからであろうか、出された冷たい水が実に旨い。ラーメンが運ばれてきたときに、もう一杯水をお代わりする。身体がやたら塩分を要求しているのが分かる。ラーメンの味というより、兎に角“汁”が旨い。食後暫く店のテレビに目をやりながら、何気なく爪楊枝で歯の掃除をしていたが、正午を廻ったのかサラリーマン風の人達が入ってきたので店を出る。 2軒目に入るまでには、少なくとも3時間は置かないと無理だ。さてどうするか。隣の駅まで歩いてみるか。新宿方面に向かって線路とほぼ平行な道を選びながら歩く。歩道が確保されている高架線路のガード下は、運送業者の倉庫や、両側が駐車場になっていて結構車の出入りも多い。 周りに飲食店が増えてきたので、どうやらこの先が駅のようだ。駅前広場に向かってみる。何だ、まだ20分しか経っていない。もう一つ先の駅まで行ってみるか。駅前の横断歩道を横切ってガード下の商店街を通り抜け、再び両側が駐車場のガード下歩道に出る。更に進むと駐車場が途切れて脇道に出る。何か大きな施設が見える。区営の屋外プールだ。まだ泳ぐ時期ではないので閑散としているが、看板には夏の期間、大人2時間400円と書いてある。そうか、ここならバスで行くあの温水プールより安くて健康的だ。屋外というだけで開放感、健康的なイメージを感じるから不思議だ。 この辺で引き返そう。そろそろ足が痛くなってきた。プール入口のコンクリート階段に腰を降ろして両足の脹脛を揉む。汗が引くと、春風といえども日陰では寒く感じる。一時ぼんやりしながら足を揉んでいたが、やがてもと来た道を引き返す。時計を見るとまだ1時間ちょっとしか経っていない。当分腹も減りそうにない。身体も冷えてきたし、このままぶらぶらしても時間のロスと判断し、電車で帰ることに切り替える。 自宅に着くとどっと疲れが出たような気がする。早速湯船に浸かって長時間ゆったりした気分を味合う。全身がけだるい感覚だ。疲れと、のぼせたのとが重なったのかもしれない。湯船から出たとたん目眩が起こった。まずい。必死に身体を起こし、タオルで大雑把に身体を拭いてからパジャマを羽織り、ソファーに倒れ込む。さっと血の気が引くのが分かる。貧血だ。這って押入れの毛布を引きずり出し、そのままその場に倒れてしまった。 何時間経っただろうか。慌てて布団を敷いて床に潜り込む。何となく気持ちが悪く、吐き気も催す。うとうとしていたら女房がパートから戻ってきた。「どうしたの? 風邪でも引いたの?」。女房のちょっと慌てた声にふと我に返る。「気持ちが悪い。貧血だ。吐き気はなくなった。」。女房は何も言わずに体温計を持ってきて、手際よく脇に差し込む。「お薬買ってくるから待ってて。」と言うが早いか、飛び出して行った。薬というかサプリメントかもしれない。増血剤と言って飲まされた後、体温計を脇から取り出して言う。「平熱だから心配ないわ。夜になってお腹が減ったときのために雑炊を作っておくから、好きなときに食べて。」と妙に優しい。普段し慣れないことを無理してやらないほうが身体のためよと、見透かされている感じがして、何とも返事のしようがない。 結局一眠りして夜10時頃に目が覚め、雑炊を口にするため起き上がる。女房がテレビを見ながら大丈夫かと聞く。「大丈夫だ。有難う。」。パジャマ姿で、雑炊をほうばりながら出た素直な言葉だった。普段は空気か水のような存在の女房だが、いざというとき一緒にいてくれないと不安になる。女房のさり気ない気遣いに、最後に頼れるのは矢張り女房かと、こういうときにつくづく実感する。 色々歩いてみると、気に入ったコースも見つかるものだ。川ずたいに遊歩道があって、そこが気に入っている。狭い家並みの裏側に、何となく生活の臭いが感じられるからだ。遊歩道を金網で隔てた、猫の額ほどの空間に干された洗濯物の下に、子供の自転車が雑然と置かれてあったり、狭い家からテレビの音声が聞こえてきたりする。姿は見えないが突然犬の吠え声に脅かされる。 狭い川ずたいに暫く歩いて行くと、やがて広い場所に出る。自転車専用コースもあって、かなり広い公園だ。広場の端に設置されたジャングルジムで、幼児を下から支えながら遊ばせている母親がいる。傍らではお姉ちゃんであろうか、一人で母親に何か叫びながら、ブランコを大きく前後にこいでいる。微笑ましい光景だ。突然チリン・チリンと鳴らした自転車が、大きな犬に引っ張られながら脇を走り去って行く。 そうか、自転車専用道路に立ったままだったかと、省三は我に返って公園内を散策する。初夏の頃は木々の緑も映えて気持ちがよい。公園の別の出入口から、今度は住宅街を抜けて帰路につく。 好奇心からちょっと脇道にそれると、薄暗く狭い参道が目に入る。ほう、こんな場所にも神社があるのか。参道の奥には古びた賽銭箱が見える。本堂に向かって何気なく手を合わせて周囲に目をやると、隣接する住居から住職らしき年配の男性が出てきて、省三に声を掛ける。「お散歩ですか。散らかしてるので片付けますから。」と、足下の段ボール箱を持って裏の方に消えた。正月くらいはお参りする人もいるのだろうが、こんな閑散とした神社がよく残っているものだと、妙に感心しながらもと来た参道を引き返す。大分地図が頭に入ってきたようだ。自然と足が省三のマンションのほうに向かっている。 意外な場所に意外な史跡があってビックリすることもある。著名人の自宅の庭を区に寄付して庭園公園にした場所や、明治天皇行脚の折に立ち寄ったとされる、門構えの木造建造物に出くわしたりする。庭園公園は庵や池もあって、比較的個人まりした静かな落ち着ける場所なので、昔はここによく女房と夕涼みに来たものだ。秋には庭に通じる道の両側に色づく銀杏並木と、池の周りの鮮やかな紅葉は暫し時を忘れさせてくれる。庭を眺める洋風建屋には、寄贈者大田黒元雄の所持物であった昔のピアノや蓄音機が置かれていて、現在は中に入って鑑賞できるのは嬉しい。ピアノは1900年スタインウェイ社ハンブルク工場製造で外装はマゴガニー、ロンドン支店で購入とある。蓄音機はウイリー社製と、時代を引き戻してくれる空間だ。 事ほど左様に省三の住んでいる周りには、多種多様な環境空間が存在していることに、改めて驚く。 多種多様といえば、小学5年に上がるときに地方から引っ越してきた駒沢辺りは、今どのようになっているだろうか。会社を辞めて暇になると妙に昔が懐かしくなる。この年に至って、興味深い関心事だ。当時親父の転勤で会社のアパートに入っていた。 見に行ってビックリ。約半世紀近く経った現在のアパートは、社宅ではあるが3棟のマンション風ビルに変貌していた。隣にあった大学も綺麗に整備されて、昔の古びたイメージとは程遠い。勿論当時の路面電車は廃止され、地下鉄と接続していることはニュース他で知っているが、地上に出ると昔の町並みの面影はない。それでも当時の社宅から、小学校までの路地を探して歩いてみる。社宅アパートの対面の寿司屋は、改築されているがまだ残っている。 道路沿いに数十メートル進むと右側に脇道がある。確かこの道ずたいに行くと、当時通っていた小学校に出るはずだ。昔の記憶を頼りに込み入った家並みの脇を進む。実際道幅は昔と変わっていないのだろうが、かなり狭く感じる。当時の低い目線と、空き地が多かったせいかもしれない。 5、6分も歩くと道が二手に分かれる。確か右手に進むとゆるやかにカーブするはずだ。そのカーブした角に、小さな歯科医院があったのを覚えている。小学生の頃歯並びが悪く、矯正治療で何年も通っていたことを思い出す。何とその歯科の看板があるではないか。当時女医さんが、女の子を背負ってあやしながら治療していたが、多分その子が跡を継いだのだろうと、勝手な憶測をしながら暫し立ち止まる。リュックからペットボトルを取り出し、一口ぐいっと飲み干すとまた歩き始める。 記憶にないT字路にぶつかる。直感で右手に進むと更にT字路。迷っていたら丁度そのとき、買い物袋らしき物を提げた主婦が通りかかった。小学校はどこかと聞くと、野球帽とリュック姿の省三を見て、不審そうな顔付きをしながら、この道を左に出ればその先に見えると教えてくれた。成程、当時この辺りは草地だったが、現在は家が建って路地が増えたわけだ。小学校が現れた。校庭の大木がまだ青々とした葉を繁らせて、50年の歳月を感じさせない威容さを保っている。惜しむらくは、正門がしっかり閉じられていることだ。外から眺める他ないが、暫し感慨にふける。 正門の扉にもたれかかって、外見が立派になった校舎と誰もいない校庭を眺めている姿は、第三者には不審に写るだろう。休日というのに遊んでいる子供を見かけない。当時は休みといえば、学校に出掛けて行って色々遊んだものだ。 正門は閉ざされていて立ち入ることさえできない。しかもこの校庭は災害避難所と看板に出ているが、緊急事態の時には誰が鍵を開けるのだろうか。余計な心配をしながらもと来た道を引き返す。休日休診で人気のない歯科医院を過ぎて、二股の路地に戻ってきた。確かもう一方の道筋に、可愛い女の子の家があったはずだ。それにしても道幅が当時の感覚よりもかなり狭く感じる。 左側の家並みの表札を注意深く読み取りながら歩く。時折不審者を追うような目付きで、省三の脇を自転車が通り過ぎる。あった。表札にはっきりその苗字が書かれている。当時の茶褐色の木造2階建てのイメージを、ガラリと変えた家屋に変貌している。兄弟が家を継いでいるのであろう。この家もそうだが、当然のことながらほとんどの家に車がある。道も整備され豊かになったことを実感する。 ドキドキしながらその場を足早に通り過ぎる。そうだ、ついでに中学校にも行ってみよう。確か小学校の更に先に、畑を隔てて位置しているはずだ。当時より狭くなったとはいえ、何とまだ畑が残っているではないか。感激だ。何棟かのアパートが畑を取り囲んでいるが、途中の農家の庭にあった一本の大木は、威風堂々とその高さを誇っている。 その家の正面に廻って眺めてみようと、通りを左に折れたのがまずい結果となった。結構庭木の繁った家並みが続いていて、それを眺めながら歩いているうちに、省三は自分の位置がよく分からなくなった。仕方なくトレーナー姿で歩いている髪の薄い男性に、中学校の場所を尋ねる。散歩してちょうどそちらの方向に帰るところだから、途中まで一緒しようと言ってくれる。親切な吾人である。「会社を退職されているお年のように見受けられるが、中学校に何の用なんですか? 何処から来られたんですか?」と色々聞いてくる。こんな出で立ちで学校の周りをうろついていると、時代が時代だけに不審がられるのもやむを得ないと、素直に男性の尋問に答えながら彼の後について行く。この信号を渡った右手が正門だと教えられてほっとする。丁重にお礼を言って正門に向かう。 やや上り勾配で、盛り土をした校庭から、何やら掛け声が聞こえてくる。中学も正門は閉じられ、更にその周囲はネットで覆われている。正門右手の体育館は立派に残っていた。土足の運動靴でそのまま体育館に上がり込んだのが見つかり、体育の先生に靴を脱がされて、その靴でほっぺたを思いっ切りひっぱたかれたときの痛さが、懐かしく思い出される。 校庭ではテニス部員と思しき十数名が、声を上げながら練習をやっている。正門の先には別の通用門があるが、その脇の小さな扉は開いていた。自転車に乗った生徒が、ここからラケットを片手にして出てくる。しかし関係者以外立ち入り禁止の看板が、半世紀前の卒業生を寄せ付けない。 暫く校舎を眺めて裏手に廻る。土盛りされた高台に木々の緑が映えて、裏手の路地から見上げると小さな城壁を思わせる。こんなに静かで木々が繁っていたのかと、今更ながら改めて不思議な感覚に捕われる。 生徒達のテニスの掛け声が小さくなって遠ざかり、やがて出くわした所に小さな川がある。桜並木が整備されていて、川ずたいに進むと高架式の高速道路にぶつかる。分からないままに高架の下の信号を渡って、道なりに進むと面白いものに遭遇した。歩道脇に設置された電力会社の電源ボックスに、昔懐かしいあのサザエさんの漫画が描かれている。 かつて雑然とした商店街だった通りだが、電柱を地下に埋設し、道幅も広げて歩道まで整備されている。当時の店は多くがなくなっていて、時代の移り変わりを実感する。 よく立ち寄っていた本屋も別の店に変わっている。三叉路に交番の派出所もできている。桜並木のやや登り坂の左側に、レンガ色のサザエさんの長谷川町子記念館が現れる。成程、この一体にサザエさんが描かれている理由が分かった。その先は住宅街で、うっそうと繁った庭木のあるお屋敷が続いている。中学校に通っていた同じクラスの可愛い女の子の豪邸も、建屋は2分されていたものの、昔のたたずまいで残っている。半世紀前の世界に引きずり込まれた感覚に興奮する。省三にとって充実した一日となった。これも毎日が日曜日の恩恵だ。 第3話「何となく楽しみな集い」 暇になると誰かに会いたくなる。一人でいると集団に入りたくなる。会社時代は帰りに気のあった連中と一杯引っ掛けて、愚痴や上司の悪口などで憂さを晴らしたものだが、会社を辞めると、無性に人と話したくなる別のストレスが溜まってくる。 そういうときに、小学校のクラス会のお知らせなどがくると、素直に嬉しくなるものだ。勤めていたときには見向きもしなかった案内状を、何度も丁寧に読み返し、近況まで記入して出席の返事をする。それにしてもよく住所を探し出してくれるものだと感心する。 還暦を過ぎて皆どう過ごしているだろうか。省三にとっては非常に興味がある関心事だ。女性陣も皆さんお婆ちゃんになっているのだろうが、当時の幼い数人の面影しか浮かんでこない。当時、省三にも好きな女の子がいたが、今度のクラス会に出てくるだろうか。何となく胸が時めく。2ヶ月以上も先の初秋に開催されるというのに、カレンダーに小さく書き込んで毎日その月を見開く。 まだ間があり過ぎる。そうだ、大学時代の連中に連絡を取ってみるか。儀礼的になっている年賀状や、昔の住所録を丹念に調べ始める。これまで年賀状も、ただきているのを確認する程度で、菓子箱に収納しているだけだった。改めて詳しく住所を見ると、電話番号の他に、メールアドレスを印刷してあるものが多い。メールアドレス通知を含むワープロ使用は、数多く出す年賀状という特殊性を考えれば、当然の成り行きといえる。だが省三は、未だにパソコン生活に馴染めない自分を、別にもどかしく感じることはない。利便性の高い生活に変えようという気はさらさらない。 電話で連絡のつきそうな大学ゼミ時代の連中に、電話を掛けることにした。還暦を過ぎて働いている奴がいても、夜なら捕まえられるだろう。気を配って午後8時頃に電話を入れる。奥さんが出てきてゴルフからまだ帰宅していない奴、風呂に入っているので掛け直すという奴、入院中だという奴、本人が直接受けて懐かしむ奴、長々と近況を語る奴等々、様々だ。再度掛け直したり日程調整したりで、数日間は電話にかかりっきりの状況が続くが、直接話しができるので楽しみもあり、苦にならない。何とか10名程度は集まりそうだ。何か一仕事し終わったような、一種の自己満足と充足感を満喫できるから不思議だ。 集いの日程を忘れている奴がいるかもしれないと、数日前には確認の電話を入れるほどの気の使いようは、長く総務部門に籍を置いていた、一種の仕事病のよい面の延長といえるかもしれない。当日は大学に向かう途中にあるお目当ての、焼き鳥屋に早めに入って皆を待つ。 程なく店員が一人の男を席に案内してくる。「やあー、畑中久しぶり。幹事ご苦労さん。」。白髪だが大きな声はリーダー格だった小山だ。「随分白くなったなー。相当苦労してるね。」と切り返す。そのうち次々と、昔の面影を漂わせた連中が入ってくる。薄くなった頭部とラフな格好の年配集団は、周りの背広姿とは明らかに違った異様な集団だ。酔うほどに声も大きくなる。不思議と皆、これまでの会社生活を秘密もなく話し出す。責任と義務の、種々束縛から解放された安堵感からなのだろうか。 属したゼミは八方破りの連中が多かったが、何となく寄らば大樹の、いわゆる大企業人間に飼い慣らされた印象だ。商社で中東や東欧での生活が長かった坂上は淡々と話し、日本の経済力の強さに比べて外交能力のなさを嘆く。それに呼応して次々に横からまくし立てる。気が付けば、省三も口角泡を飛ばして気勢を上げている。この集まりを毎年やろうと決めて焼き鳥屋を出たのは、飲み始めて5時間以上も経ってからだった。 恐らく皆も、一旦暇になってある程度落ち着くと、昔の仲間に会って色々喋りたくなるのだろう。益々小学校のクラス会が待ち遠しい省三であった。 ある日、残暑厳しい熱帯夜を暑気払いしないかという、実にタイミングのよい誘いが入った。会社時代の元同僚からだ。新宿の高層ビルから、夜景を眺めながら飲むビールは格別だ。昔は屋上ビアガーデンで飲んだものだが、最近は屋上は余りはやらないらしい。 それにしても、こういった集まりになると饒舌になる。普段喋っていない分、アルコールの勢いを借りて発散しているのかもしれない。ただ大学同期の集まりのように、口角泡を飛ばす議論にならないのは、退職してからまだそんなに経っていないからだろうか。しかも運よく孫会社でまだ働いている仲間もいる。働いている連中は、早く辞めて自分の自由な時間を持ちたいと言い、毎日が日曜日の連中は、こんな生活を1年やったら飽きると返す。どちらも真実みのある実感だから面白い。省三は、女房がパートに出ているし、それなりに食っていけているから、無理をしてまで職安通いはしていない。還暦を過ぎ、しかもこれといった特別な才能やスキルを持たない自分に、仕事があるはずがないと省三は決め込んでいる。他の連中は会社時代から、色々スキルを磨いていたのだろうと感心するだけだ。 だがどうやら省三は、あることに刺激されたようだ。そろそろパソコンでもいじってみるか。思い立ったが吉日、よしやろうと決心すると早いのが省三の真骨頂。尤も女房からは三日坊主と冷やかされっぱなしだが、今回は三日坊主では終わらせたくない先々の楽しみがある。 早速新宿の家電量販店に出かけ、パソコンコーナーに顔を出す。平日だというのに、省三と同類族に混じって若い人達が多いのに驚かされる。兎に角陳列されている種類と数が多くて、どれに目を向けてよいのかさっぱり分からない。会社でたまに使用していた、あるメーカーのポータブルタイプのものが目についた。A4版サイズなので画面も結構大きい。店員に説明を求めても、難しい専門用語が飛び交ってさっぱり分からない。初めての素人なんだからと、別のベテラン店員を呼んで易しく説明してもらう。最低限のソフトが入っているか確認し、更に配線の仕方を聞いてから省三なりに納得して、思い切って購入を決断する。「プリンターはどうされますか?」。画面だけでは心配だから、印刷して紙の形で確認したい。一番安いプリンターを追加した。 会社では、インターネット回線やメール環境の構築を、全て専門技術者がやってくれるので、事務屋は何もやらなくて済む。会社を辞めた途端に、何でも自分でやらなければならない辛さと、煩わしさが生じる。税務署にも、毎年確定申告に出掛けなければならない。そこで改めて、世の中の複雑な仕組みを再認識することになる。 尤もこれらは同類族が皆やっていることだと、慰める以外にない。いずれにしても集団から一人になると、自分の力のなさを自覚することになる。最近では、パソコン生活に入いることが、生活の基盤のようにさえ思えだしたのだから、省三にとっては正に180度の転換だ。あることをきっかけに、いとも簡単に信念を変えるものだと、省三自身呆れる。 クラス会や飲み会の連絡、日程調整はメールでやってくれという声が多い。これがこの年になって、パソコンを買わせる一番の要因になったことは間違いない。ネット環境を構築するのに、一体何をすればよいのか分からないので、取り敢えずNTTに電話をして回線工事をしてもらうことになる。成程、インターネット回線の特殊ケーブルも必要なのか。買い物が一度で済まないのは何とももどかしいが、省三の知識のなさと諦める他ない。 電源コンセントを差し込んで、何とかパソコン画面に画像が出てくるまでに、悪戦苦闘してほぼ一週間を費やした。 これから諸々設定の作業がある。これがまた大変だ。画面上に示される項目の、どれかを選択しなければ先に進まない。新しい画面が出てくる度に、指示内容の意味が分からず作業がストップする。適当に「OK」や「次へ」をクリックすると、警告表示が出たりして、いよいよ混乱して焦ってくる。その度にNTTに電話をして操作をやり直す。 最近の年配者には、結構インターネットやメールを駆使して、生活をエンジョイしている人も多いと聞く。一体彼らはどうやって使いこなしているのだろうかと、疑問よりもむしろ感心さえする。ハイテクお爺ちゃんやお婆ちゃんがいるのか、あるいは孫に教わっているのか知らないが、つくづく機械音痴の不甲斐なさに省三自身呆れる。 そうかといって、一念発起してパソコン教室に通う気もさらさらない。パソコンと格闘しているといらいらしてきて、衝動的に放り投げたくなるときもある。 何とかメールソフトも正常に起動し、試しに登録した自分のメールアドレスにテスト送信してみる。返ってこない。おかしい。何度やっても結果は同じだ。またトラブル対応のコールセンターに電話をする。状況を話し、相手の指示に従って画面操作をするのだが、これがスムースに進まない。途中で何度も操作をやり直したり、初めて聞く用語に戸惑いながら四苦八苦する。 長時間のやり取りの結果電話を切って、再度メール送信の挑戦をする。テスト送信が返ってきた。この喜びは何とも言えない。早速年賀状の束をひっくり返して、焼き鳥屋で飲み会をやったときに集まった、大学時代のセミの連中にメールを入れてみる。おっ、直ぐにメール返信がくる者もいる。面白い。時間が経つのを忘れてしまう。夜になって送信した一人から、パソコン嫌いの畑中もメールをやるようになったのかと、冷やかしの返信が入る。又それに再返信を入れ返す。成程、電話より遥かに便利だ。最低限のささやかなハイテクの利便性を手に入れた気分に、省三は大満足である。 初秋といってもまだ暑い。9月下旬の日曜日が1週間後に迫ってくると、何となく落ち着かない。女房がパートに出掛けると、おもむろに洋服ダンスを開いて色々コーディネートを試みる。カラーシャツにアスコットタイ、それに明るい色の薄手な上着と洒落てみる。ラフな上着にジーパン、野球帽も若返って溌剌とした感じだ。女房が久々に女子大時代の友達に会うと言って、長々と衣装と化粧に時間をかける女の気持ちがよく分かる。何かの“ときめき”が、マンネリを打破するとはよく言ったものだ。自分の行為に滑稽さを感じながらも、黙々と鏡に向かってポーズをとる省三は、すっかり別人になり切っている。 突然玄関のチャイムが鳴る。女房は夕方まで帰ってこないし、しかも自分で鍵を開けて“ただ今”と言って戻ってくるから、女房ではない。慌ててアスコットタイと帽子を脱ぎ捨てて玄関に走る。「宅急便です。」。どうやら女房に来たものらしい。どっしりと重い。ジャムと書いてある。通信販売で買ったものだろう。毎日が日曜日になってからは、結構昼間に女房に関係するものを受け取る機会が多い。この煩わしさを回避したいなら、家の中にばかりにいないで外出せよということかもしれない。女房の一石二鳥の策かと、勝手な解釈と納得をしながら食卓台に置く。取り敢えずコーディネートしたものを纏めて収納して、当日を待つことにする。 土曜日の夜は翌日の天候が気になって、何度もテレビの天気予報を見る。終日雨が強く降ると言う。クラス会の会場は原宿駅からちょっと歩くので、傘を差しても部分的に濡れることを覚悟しなければならない。レインコートを羽織るには暑いし、第一ダサイ。結局折畳み式の傘より大き目の、カラー雨傘を用意して行くことに決めた。どうせ自己紹介と近況報告をすることになるだろうからと、キーワードをメモした紙切れをポケットに押し込む。用意万端整った。 クラス会当日は予報通りの雨だが、そんなに激しくはない。家にいてそわそわしていると女房に何か言われるだろうからと、当てもないのにかなり早めに家を出る。取り敢えず原宿に着いてから目的の場所を確認し、付近を散策することにする。雨天だというのに結構人通りは多い。様々なファッションの若者達が闊歩している。原宿を歩いていてスカウトされたモデルやアイドルタレントは多い。ここ原宿はこの若者達にとっても、そのようなチャンスに巡り会えるかもしれないという、夢と幸運を期待させる場所なのだろう。 時間をかけてコーディネートした叔父さんファッションも、ここでは全く目立たない。もっと派手でも平気で闊歩できそうだ。大勢の若者がたむろしている通りに面した、あるビルの1階の店舗に入ってみる。若いカップルばかりだ。大小様々な縫いぐるみや、色とりどりのTシャツが、さり気なく陳列されている。何屋さんなのかよく分からないが、若者に人気のある店のようだ。年配の男一人、省三がカップルの肩越しから覗き込む。何となく浮いた感じで気恥ずかしい。 不思議なもので、何軒か廻っているうちに気恥ずかしさは忘れて、小物グッズを手にしたり、価格を確認したりしていた。ウインドウショッピングも飽きたので、今度は通りの反対側に向かってみる。雨も少し小降りになっている。 玉砂利の参道を行く若いカップルが多いのには驚く。観光バスで乗りつけたお年寄り集団に混じって、子供達もお喋りしながら本殿に向かう光景は、正月とは雰囲気の異なる名所旧跡巡りといった感じだ。周囲を一廻りして、更にその奥の公園に向かう。簡単な雨よけの下で、ストリートミュージッシャンが大きな音をかき鳴らしている。屋台も出ている。結構ぶらぶら歩いているので腹も減ってきた。 どこかに座りたい気分だが、雨ではそうもいかない。今、腹に入れるとクラス会がきつくなる。引き返して何処かの喫茶店にでも入ることにするか。ところが何処も一杯だ。何処まで行っても店は満席だ。雨の日に用もないのに出てくるなと、身勝手なことを言いたくなるが致し方ない。結局明治通りをかなり渋谷方面に歩いて、とあるビル一階のパブのような店に入ることができた。かなり喉が渇いていたので、結局生ビールの小グラスを注文して一息つく。昼時近くになっているので、客も少しづつ増えてくる。引き上げた客のテーブルを、店員が忙しく片付けに廻る。タバコの煙も増えてきたところで店を出ることにした。 まだちょっと早いが、会場の店に向かうことにする。狭い歩道を通行人とぶつからないように、傘を巧みに傾けながら進んで行く。省三は猫背になっている自分の姿に気付いて、たまに背筋を伸ばしながら、意識的に時間調整の歩幅でゆっくり歩いている様を、滑稽にさえ感じる。 会場の店は地下にあって、扉を開けるとパスタやピザの香ばしい香りが漂ってくる。いきなり白髪の男性が「畑中君?」と声を掛けてくる。ビックリ、小学生の頃は背の低かった阿部君ではないか。幹事より早くきてしまったと照れくさそうに喋る口調は、昔と全く変らない。今も当時からの地元で、床屋を継いでいると言う。 しばし昔話に花を咲かせていると、やがて当時の面影を携えた面々が入ってくる。開始時間寸前に、大きな荷物を抱えた幹事の島野君が、「遅くなって済みませーん。」と言いながら息を切らして入ってきた。総勢20数名が長テーブルを囲んで適当に座る。女性陣のほうが少ない。会いたかった旧姓野添さんは見えない。どうやら欠席のようだ。浮き浮きしていた気持ちがちょっぴり萎んだ感じだ。当時、可愛い茶目っ気のある女の子で、座席の組み換えで隣同士になったときは、嬉しくてしょうがなかったことを思い出す。わざと文具ケースに消しゴムを入れるのを忘れて行き、彼女に借りて使わせてもらったり、授業で彼女の注目を引くために、担任の先生にわざと難解な質問をしたりと、小学生なりに色々策を講じていたことを思い出す。 そうこうしているうちに、当時のクラス担任の先生が、女性の幹事に案内されて入ってきた。懐かしい。何と当時あの若々しい新任教師の近藤先生が、白髪の素敵なお婆ちゃんだ。我々より10歳以上も年上だが、しゃきっとされている。音楽の授業でピアノも上手だったし、綺麗な先生だなと子供心に感じていたが、お年を召しても溌剌とされていることに、一種のジェラシーさえ覚えるのは省三だけではなかっただろう。だが一方で、ご結婚後、数年で離婚されたという噂もあって、ご本人の幸せは、外見とは違った奥深いところに封印されているのかもしれない。ご子息もおられないと聞いている。 ワインとソフトドリンクで乾杯の後、食べ物を余り口にされずに、近藤先生は皆の席を廻ってにこやかに語り掛けられる。近くに廻ってこられ、いきなり「あーら畑中君、あなたは優等生だったけど、結構やんちゃないたずら坊やだったわよねー。今はどちらが優勢の畑中君なのかしら?」の先制パンチだ。「どちらも劣勢のフリーターです。今は毎日が日曜日の年金生活者です。」と照れ笑いしながらワインを口にする。色んな小学校で多くのクラスを担任されてきているのに、よくそこまで当時の生徒を覚えておられるものだと感服する。 ほぼ一巡されて先生が席に着かれてから、今度は生徒達の近況報告が始まった。高校や大学時代の同期会、クラス会と違って、小学校時代のクラス会は様々な人生模様があって面白い。サラリーマンになった連中は退職して年金生活だが、商売をやっている連中は現役バリバリだ。デザイナーもいれば売れない画家や、怪しげな商売をしている者もいる。サラリーマンの話になるとつまらないのは、省三と同類族思考だからかもしれない。最初の2、3人はそれなりに皆聞いているが、やがて隣同士、前同士話し合ったり、食事やドリンクに夢中になったりと、ざわついてくる。 幹事が時折手を打って静粛を促す。省三に番が廻ってきて、近況報告よりも皆の関心事と思われる話題で切り出す。「今日は幹事さん有難うございます。お元気で溌剌とした、何時までも魅力的な近藤先生にお会いできて感激しています。でも残念なことが一つあります。旧姓野添牧子さんが欠席されていることです。私は当時彼女の大ファンで、実は初恋の人でした。」。周りから一斉に「やっぱりそうだったんだー。」、「俺も好きだったぞー。」。「数年前のクラス会には彼女出てきてたぞー。何故今まで畑中出てこなかったんだ。」。更に近藤先生までが「それを見越して、隣同士の座席にしてあげたことに感謝してますか? 結局恋は成就しなったわけね。」と手厳しい。挙句の果てに冗談が高じて、次回の幹事をやって、彼女を出席させたらどうかなんてことにまで発展する始末。尤も最後には近況もしっかりスピーチし、近藤先生から「矢張り畑中君は当時と変らないわね。相変わらずあなたが主役になるわね。」と、しっかり性格分析までされる。 性格は幾つになっても変らないのだと自覚しつつ、省三には久々に楽しいクラス会であった。 第4話「ゴルフを無理やり趣味に」 女房を見ていて、今更ながら女は強いと実感する。同い年なのに年を重ねるごとに益々元気になる。スーパーの仲間と散策クラブを作ったと言う。観光バスツアーもやるとのことで、年間計画もあるらしい。気晴らしによいことだからと、省三も文句は言わない。子供を生む体力や平均寿命の長さを考えれば、女が男より生物学的に強いのは頷ける。男というもの、外見の筋肉や逞しさによるカモフラージュが、年と共に削ぎ落とされて、内面的、精神的な土俵に立たされることになると、女の優位性が顕著になるような気がする。更にこの年になったも女同士、仲間との趣味を楽しむ事態に至ってはなおさらだ。 それならばこちらもと、会社時代に付き合いでやっていたゴルフを、突然復活させることを決意する。つまるところ、会社時代の連中に声を掛けられて一緒に廻ることにしたものだが、退職した後は利害関係はないから、普段サボって鈍った身体を動かす意味からも、ゴルフは気楽に楽しめる趣味にはもってこいというわけだ。 練習場でクラブを振れば、健康管理にも多少は繋がるだろう。今となってはゴルフの腕を上げるというより、むしろこちらのほうがウエイトが高い。区役所からくる健康診断受診の通知にも、メタボリックシンドロームの予防策を訴えているが、ただ歩いたりジョギングするだけでは面白味がなく、苦痛で長続きしない。ゴルフなら練習も含めて楽しめるので、一石二鳥と省三流の論理で納得する。。 コースに出るときは、必然的に省三が呼び掛けの幹事役をすることになる。暇なので、これは自分の仕事と省三も割り切れる。 やるからには練習場で、少しは身体の予備調整しておくことも必要だろう。平日のすいていそうな時間帯を狙って、クラブを数本抱えて近くの打ちっぱなし練習場に自転車で向かう。平日だというのに同類族が多いのには驚く。しかも結構若い連中もいる。休暇を取った現役組か。退職組は何となくその雰囲気で分かる。 できるだけ端のほうの場所を探して素振りを始める。フロントからもらったカードをベンダーに差し込むと、ゴルフボールが音を立てて勢いよく籠に流れ込む。 感触を思い出すように、最初はドライバーで一球毎に、打球の方向を確認しながら丁寧に打つ。レッスン本の写真をイメージして、フォームの確認も怠らない。次第に熱が入り、ボールを打つペースも早くなる。そのうち疲れてきて一休みということになる。備え付けのベンチに腰を下ろし、ハンカチを取り出して額の汗を拭う。 空いていた後隣りのケージに、同類族と思しき髪の毛の薄い人が、フルセットサイズのバッグを抱えてやって来た。喉が乾いたので、自販機に冷たい緑茶を買いに行く。ペットボトルを口にしながら戻ってくると、隣人は早速打ち始めている。フォームはぎこちないが、打球はほとんど曲がらない。やがてアイアンに持ち替えて、ハーフショット後の打球を見つめている。かなりうまい人なんだろうなと思いながら、ペットボトルを脇に置いて、省三は再びドライバーで打ち始める。 今度は隣人が休憩してタバコを吹かし始めた。当然後ろから見られているわけだから、何となく気になってやりにくい。たまに右足の踵を気にしている振りをして後ろを振り向き、手で靴に触れながらちらっと隣人を見る。何食わぬ顔付きでタバコを片手に前方を見やっている。そうこうしているうちに籠のボールもなくなり、その日はボール一籠で引き上げることにした。心地良い汗をかいた感じだ。自転車にまたがり、通りすがりの本屋で、新たなゴルフレッスンの本を購入して家路につく。 その夜、早速ビールを飲みながら写真とイラスト入りの説明に見入る。頭で理解しながら、時折身体を捻ったりして感覚を身に付けようと努力する。コースに出ると忘れてしまうのだが、この繰り返しが素人の楽しみでもある。 仲間とコースを廻った後の“たら・れば”反省、悔しがり、言い訳等が、健康と憂さ晴らしになっていると思えば、有意義な一日を提供してくれる素晴らしいツールと言えるだろう。会社時代の接待ゴルフとは全く違った楽しさを感じる。これは第一線を退いた者の特権と思いたい。 これまでこれといった趣味のない人間が、年に一度か二度のプレイの楽しみを、唯一大胆に“趣味はゴルフ”と書ける稚拙さを恥じることがなくなったのは、会社人間からの開放感だろうか。 第5話「躊躇する“魅惑のときめき”」 年末の慌しい時期も普段と変わらず、省三にとっては余り関係がない。家にいても女房の掃除・洗濯・片付け等々の邪魔になって、何となく家にいづらい。 ふらりと新宿に出掛けてみる。地下鉄の座席に放置された、スポーツ新聞を拾い上げて何気なくめくると、後ろのほうに風俗店の広告が、女の子の顔写真入りで掲載されている。会社時代には、捨てられた新聞や雑誌の類に手を出すようなことはなかった。開放感からか、不思議なものだ。 近くの乗客の目を気にしながら、その広告記事に目をやる。掲載されている女の子のサービス内容が気になり、異常に興味と興奮を覚える。暇ですることがないと、なおさら頭の中がそちらのほうに向く。新宿の店も載っている。それとなく店の名前と住所の番地を頭に入れて、その新聞を上の棚に放り投げる。 新宿は相変わらず人が多い。これといった目的もなく、表通りから裏通りに入ってみる。表通りの喧騒から離れたビルの裏に、個人まりとした小料理屋があって、何となくほっとした気分になる。サラリーマン時代には、こういう店によく立ち寄ったものだ。地下鉄の中で頭に入れた番地を、電柱に貼り付けられたプレートで確認しながら歩いて行くと、やがてそんなに高くない細めの雑居ビルの2階に、広告の店の看板が目に飛び込んできた。歩く速度を遅くしながら、上目使いに確認してそのまま通り過ぎる。その先を左折して、今度は別の通りから逆方向に戻って、もう一度その店の前を通り過ぎる。心臓の鼓動が少々早くなっている。ゆっくり近づき、足早に通り過ぎる。更にもう一度、意を決して店の前に行き、一瞬立ち止まって店の案内にさっと目を通すと、一目散に明かるい大通りに出て行った。 今日は止めておこう。明日にしよう。胸の高まりを抑えながら、近くのデパートに入る。トイレですっきりしてから新宿駅に向かう。路地の宝くじ売り場で、若い男女が夢を買っている。この光景を見て、これまで買ったこともない年末宝くじを、通し連番とバラで20枚も買い込んだ。先ほどのもやもやを解消する衝動買いの感じだ。 翌日、省三は野球帽を被って再び新宿に出掛けた。今日はあの店に入いってみよう。 意を決して、新宿駅から脇目も振らず目的の店に直行する。店の前で帽子を被り直して、雑居ビルの階段をゆっくり上がる。黒っぽい色の扉を押し開けると、「いらっしいませ。指名の女の子はいますか?」と、威勢のよい男性店員の掛け声。思わず新聞に載っていた女の子の名前を告げると、前に入った客の相手をしているので、15分くらい待合室のソファで待つようにとのこと。 料金を払って待合室に入る。数人の待合客の片隅に座って、備え付け週刊誌のグラビアページをパラパラ捲っているだけで落ち着かない。15分が異常に長く感じられる。ただ不思議なことに、店に入る前のドキドキ感はなくなっている。後に入ってきた客も含めて、次々に店員に呼ばれて待合室から奥の部屋に姿を消していくが、15分を過ぎても一向に省三は呼ばれない。30分近く経ってから、遅くなりましたと言って、茶髪のミニスカートの女の子が現れた。 髪形を変えているからなのか、写真とはかなり違った顔立ちだ。店員のごゆっくりどうぞの声を後に、奥の別室に向かう。そこは見知らぬ男女同士の、二人だけの世界だ。対価を払って理性的、常識・倫理社会からの逃避、本性・潜在欲望の具現化を演出できる男女の別世界だ。 女の子は手馴れたものだ。年を聞くと23と言う。多少の“さば読み”はしているのだろうが、明かるくて人懐っこい感じの子だ。部屋のベッドに座っていると、「おじさん今日から年末のお休み?」と言いながら、省三の服を脱がしに掛かる。無抵抗のまま彼女のなすがままに、「そうだね。」と省三は無愛想に答える。「ここに来る前は何してたの?」。省三は自分の興味から、いきなりこの質問が口をついて出た。服を脱がす手は止めず、「デパートで化粧品会社の出張販売員をやってた。」。「どうして辞めたの?」。「派遣社員の歩合制できつかったから。」と、屈託が無い。「今日は随分寒いね。暖房の設定温度をもうちょっと上げてくれる? 君は寒いのに慣れているようだけど、どちらの出身?」と、誘導尋問的な聞き方をしてみる。「北海道の室蘭。」。「何だって、道理で。奇遇だね、私も中学時代に数年間室蘭に住んでたよ。そうか、室蘭か。こんな所で室蘭出身の人に会うとは思わなかった。懐かしいね。ところでお正月は帰るの?」。シャワーで身体を流しながら、「お盆や年末年始はなかなか飛行機のチケットも取れないし、混むのでいつもこの時期は外してるの。」。思わず口をついて出たのが、室蘭出身の悪友に成りすました作り話。話題を変えてみる。「帰省も大変だね。ところでこの近くに一人住まい? 家賃高いでしょう?」。「13万くらい。」。身体を拭いてもらってベッドに横になり、お喋りが続く。「おじさん、私を指名してくれたの?」。「そう、新聞で見てね。」。「こういう所、初めて?」。「いや、色々行ってるけどね。」。答える声が弱々しい。「どんな女の子なのかなーと思ってね。」。「私に会ってどうだった?」とすかさず返してくる。「参考のためにもうちょっと色々聞いてもいい?」。「駄目、続きは又今度。」と言ったかと思うと、いきなり覆い被さってきた。 1時間があっという間に経って、彼女の見送りで店を出たときは、夕暮れ近くになっていた。一人で都会に生きる女は逞しい。彼女達の人生模様を知りたい衝動が、何故か益々強くなっていくのを省三は感じた。 ある日の民放テレビで、銀座の高級バーで働く女性達の一日を追った、ドキュメンタリー番組が目に留まった。一見華やかな彼女達も、仕事を離れての生活は大変だ。ある一人の離婚した女性は、夜の保育施設に子供を預けながらの母親を立派にこなし、一方で殿方を魅了する、夜の明かるい笑顔の女に切り替わる様を見ていると、正に生きる女の本能的な強さ、怖ささえも感じる。店を終えて子供を引き取って帰宅し、子供を寝付けた後に普段着に着替えての、煙草を吹かしながら深夜ポツリと零す一言が、ずしりと省三の胸に突き刺さる。「皆、虚実の狭間で必死に生きているんですよねー。」と。 新宿の店で働いている風俗嬢も、全てとは言わないまでも、大なり小なりそうなのであろう。 暫くおいてから、また例の店に立ち寄ってみる。2回目はそんなに気持ちか高ぶることなく、比較的落ち着いた感じで店の階段を上がることができた。何となく意識の対象が変わってきていたからかもしれない。扉を押すと、「いらっしゃいませ。指名の女の子はいますか?」と、例の店員の甲高い声が響く。受付に案内されると、小声で前に付いた女の子の名前を早口に告げる。その子は先月辞めたと言う。何と1ヶ月ちょっと前に会った子は、既に何処かに行っている。それではいいと言うが早いか、「別のいい子がいるので直ぐご案内します。」の声に、身を委ねる羽目になってしまった。 兎に角この業界は入れ替りが激しいとは聞いているが、店もお客を呼べる女の子からのピン跳ね短期売り上げで必死であり、一方女の子は少しでも実入りの多い店を探して、移って行くのであろう。正に今日を生きる真剣勝負の人生模様を垣間見る思いだ。通された部屋で迎えてくれた風俗嬢は、30代後半から40代前半と思しき、おとなしそうな一見理知的な感じのする女性だ。口数は少なく、身体を流してもらいながら色々聞いてみても、そっけなく受け答えをする。聞けば貸金業の主任をリストラされて、目下専門学校に通うための資金作りで、一時的にここにいるのだと言う。私大の経済学部まで出て、中堅の上場金融企業を首になれば、ここまで開き直れるものかと、省三は驚くと同時に妙に感心さえする。一方で、形振り構わぬ女の修羅場の強さを目の当たりにして、些か怖くもなる。専門学校では金融面の勉強をして、ファイナンシャルプランナーになりたいのだと聞いて、女性の社会進出には、男以上に専門性やスキルの必要なことを、会社時代のことを思い出しながらつくづく思う。 頭と身体がバラバラのままで、彼女の義務的な1時間のプレイに身を任した後で、別れ際に「頑張ってね。」と、静かに告げて店を出た。 その後何となく彼女のことが頭から離れず、数週間後に又その店を訪れることにした。まだ彼女はその店にいた。初対面で色々聞いていたこともあって、彼女は省三を覚えていた。嬉しそうに彼女のほうから話しかけてくる。リップサービスと分かっていても悪い気はしない。身体を流してもらっているときに、思い切って聞いてみる。「失礼なことをお聞きするようだけど、小さいお子さんおられる?」。「この年で一人ってことないでしょう。離婚して小学校2年の男の子がいるわ。」。「そうですか。お子さん抱えて大変ですね。」。「大変、大変と言ってたって仕方ないでしょう。生活しなきゃいけないんだから。そう簡単に35過ぎた、学歴もない女を雇ってくれる所なんて見つかると思う?」。ちょっときつい顔に戻って淡々と受け流しながら、洗い終わった身体を後ろからタオルで拭いてくれる。そうか、専門学校に行く資金集めは外向けの顔で、生活費工面の手段であることは間違いない。「お子さん抱えて、しかもファイナンシャルプランナーの勉強をされようとする、前向きの意気込みには敬服しますね。」。「まだ先は長いわよ。」。達観したような口調で彼女はベッドに横になった。 しかし非現実の世界にまどろむ彼女の態度は、明きらかに前回とは違った印象を受けた。今は全てを吐露して、失うものがなくなった安心感から、居直って完全に身を任している感じさえ受ける。部屋に流れる小音量のバックグランドのクラシックオペラの歌声に、気障な言い方をすれば正に、トリスタンとイゾルデの愛の陶酔の世界に引きずり込まれたような、けだるい錯覚に陥っていった。 プレイを終えて着替えをしながら、「私も前の会社でそれに近いことをやっていたから、勉強に役立つ資料があるかもしれない。今度持ってきてあげようか。」。「有難う。嬉しいわ。」。彼女に見送られながら、省三は複雑な気持ちと、ある決意を抱いて店を出た。恐らくもうこの店に来ることも、彼女に会うこともないだろうと。 最初は単純に、興味本位の肉体的快楽を求めるだけだったものが、会話を重ねるにつれて、そのような“場”にいること自体、居たたまれなくなっていた。省三は自分の平穏な生活から、極端に乖離した別世界の他人の生き様に深入りしそうで怖くなったのだ。身勝手で、卑怯な弱い男なのかもしれない! もう一方の省三が自戒する。 第6話「同期の死」 日曜日の朝ゆっくり起きて、いつものように新聞に目を通していると電話が鳴った。女房は昨日から、高校時代の親しい友人数人と温泉に出掛けている。いつもは女房が電話を取るのだが、仕方なく腰を上げて電話口に出る。 大学ゼミ仲間で飲み友達の高木君からだ。「日曜日の朝に珍しいね。何だ?」。「末吉が亡くなった。」。「何だって!」。思わず省三は手の新聞を落とし、受話器を両手で抱えて聞き返す。「地銀役員の末吉が首を吊って自殺した。」。「何、あの秀才が自殺?」。絶句する省三に、高木は通夜と告別式の日時を早口で伝えて電話を切った。末吉は酒も強く女に持て、しかも学生時代からユニークな発想をする秀才だった。 経営不振の会社の再建を幾つか抱えていると聞いていたが、彼の人情家としての一面が、非情なビジネスの現実との狭間で葛藤していたのかもしれない。そんな勝手な憶測を巡らせながら、省三はパソコンに向かった。矢張り仲間からの緊急メールが入っている。 “苦しいときもあるだろう、言いたいこともあるだろう、不満をぶつけたいこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、泣きたいこともあるだろう、これらをじっと我慢するのが、男の修行である。山本五十六”と、正確には覚えていないが、このような意味合いの文面の張り紙が、確かサラリーマンに人気のある新宿の飲み屋の便所に貼ってあったのを思い出す。たかが飲み屋の便器に向かって、まじまじと見た張り紙だが、こんなときに頭に浮かぶのだから、末吉には怒られるかもしれない。尤も今の時代には、最後の2行は当てはまらないかもしれない。秀才ゆえの悩みは凡人には分からない。逆も真であろう。そんな稚拙な比較を巡らす省三であった。自分は会社生活も平凡、定年生活も平凡な人生だ。 “振り向けば、走り続けたわが人生、たかが平凡、されど平凡”。 何故死を選んだのか? 省三には分からない。省三には自殺する勇気はない。小説家や芸術家が自ら命を絶つと、時に美学の評論がなされることがある。凡人にはそんな感性はない。自分より働き続けた企業戦士の犠牲者として、別な意味で友人を亡くした辛さや悔しさは、省三の胸に深く刻まれることにはなるだろうが、自分が人生を終える頃には同類族として忘れてしまうであろう。 退職した第二、第三の人生を、“毎日が日曜日”で何が悪い。確かに定年後に限らず自分には、時間的、空間的に先を見た大きな事象に対する、いわば社会性とも言うべき精神的な扉を狭めているかもしれない。しかし、毎日が稚拙で変わり映えのしない日曜日でも、“幸せ”という定義・意味のハードルを下げて、凡人は凡人なりに生きているのだ。 “自分はこれまで何をしてきたのか、吹き抜ける風が問う”といった内容の自問自答が、確か省三の同郷山口県出身の、中原中也の詩の一節にあったように記憶している。 およそ自分は未知の冒険をする度胸・勇気はない。これまで生きてきた人生の整理整頓、回想をするに足る中身も無い。 浅い上層の借り物の知識と教養紛いの覆いで、省三は大過なく、世間体を気にし、周囲に大きな迷惑をかけることもなく、稚拙に平凡に生きることしかできない、気の弱い不器用な人種なのである。しかして毎日が日曜日であることを苦にしない、ごく普通の定年ぶらぶら人生を楽しむ人種なのである。 ― 完 ―
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