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北海道北見発     

北見寒太郎

はじめに

 私は約三十年間のサラリーマン生活のほぼ半分を、地方の単身赴任で過ごしてきた。しかも静岡県富士市という、ほとんど雪とは縁のない比較的温暖な場所での生活であった。このときには、いかにずぼら生活をエンジョイするかといった、知恵出しを結構楽しんでいたような気がする。

 この度、故あって北海道のオホーツク圏に単身赴任することになった。サラリーマン生活から大学の先生にトラバーユしたわけであるが、実は北見という場所もよく知らずに、赴任したというのが偽らざるところである。具体的には国立の北見工業大学(現在は国立大学法人 北見工業大学)地域共同研究センターが勤務場所である。わざわざ国立と断ったのは、私立ですかと問う人も多いからである。人伝に旭川よりは暖かいと聞いていたが、実はそれも違っていた。八月に大学側の受け入れが決まったものの、諸々会社業務の事情があって、着任が十一月中旬にずれ込んだこともあり、赴任先の先生方からは最悪の時期に来たと、慰められる始末であった。家賃の安いことと、大学敷地内にある二点を勘案して、築三十数年の官舎に入居したことで、図らずも厳しい冬を生き延びるための(私にとっては決して大袈裟な表現ではない!)、様々な北国の生活の知恵を身につけることになった。周囲の方々からの支援がなければ、到底知り得なかったようなことが数知れずある。北見という北海道のオホーツク側に位置する、一地方都市に着任してから気が付いたこと、知り得たこと等を順不同のランダムに記述してみたい。かなり独断と偏見が入っていることはご容赦願いたい。

 このような生活の知恵本があったら、北見に限らず海外も含めて、まったく気候風土の異なる地での単身赴任の不安も、少しは和らぐかも知れない。そんなことを勝手に思いながら、同類の方々への福音にでもなればという気持ちも込めて、ここでは感じたままを披露したい。当然家族、特に奥様方にはこの苦労を知ってもらいたいものである!

 

★その前に

 各論に入る前に、北見の予備知識を多少なりとも紹介しておこう。そう言う私も実は北見が何処にあるか知らなかった。これまで北海道に縁もゆかりもない人間にとっては、当然と言える。これは何も北海道に限ったことではない。道外の人間にとっては、北海道は雄大な観光の地、美味しいものが豊富にある大地というイメージが強い。知り合いに話しても、北見を知っている人は数割にも満たなかった。札幌、函館、留萌、室蘭、小樽、旭川、釧路、網走、稚内くらいは、北海道の地図上でおおよそどの辺りにありそうだということは知っていても、北見となるとまるで知らない。網走は高倉健さんの映画「網走番外地」で有名になり、その宣伝効果をフルに活用して、現在は網走監獄(博物館)、オホーツク流氷砕氷船の乗船体験、はたまた蟹、ホタテの美味満喫を売り物に知名度を上げている。北見はそのオホーツク海に面した網走から、車で約一時間程西南側の奥に入った盆地と言って紹介している。誰もが観光地じゃないから知らないと言う。ただ、昔はハッカで栄えた商業小都市であり、車で二時間も走れば、周りには層雲峡、屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖、世界遺産に登録された知床へと出られる、ほぼ中心に位置している。

北海道の出先機関である網走支庁管内においては、網走市の人口約四万人に対して、北見市は遥かに多い十一万人を擁する、不思議な小都市である。市内に大学は三つもあり、大病院も多い。タクシーの運転手さんが、北見は大学と病院と公務員で成り立っていると言っていたが、産業構造はもっと歪な構図である。地元企業を買収して携帯電話を製造しているハイテク大企業の工場と、後は中小の地元製造業、土建業が大半である。大企業が中国に製造拠点を移し、公共事業も減ってくる現実を考えれば、北見の将来は厳しい。何としても地元経済の活性化が必要というわけである。これは一地方小都市に共通の悩みと言える。

 

(一)北見赴任に際して

 赴任する前に、何処に住むかを決めることは勿論だが、車の保有は絶対条件である。赴任に際して、北見の知識を何も持たずに本州の暖かい所から来て、路頭に迷ったら困るだろうとの配慮から、親切にも生活指導の先生がボランティアで付いて下さった。これには本当に頭が下がる。酷寒の地に生活指導アドバイスの先生は必須であると感じている。雪道、アイスバーンへの対応を考えて、四輪駆動のABSランドクルーザータイプを薦められた。トヨタのRAV4!  これに乗ると些か恥ずかしい気もするが(東京都内では尚更)、若くなった気がするから不思議である。当然寒冷地仕様であり、現地調達が必須である。タイヤ同様、ワイパーも夏用、冬用使い分ける。これは知らなかった。

 ところで、引越しを冬に向かってするのは相当不利である。実際、十一月中旬の引越しに際しては、雪の洗礼を受けた。この時期、オープンな状態での運送は荷下ろしの際に濡れてしまうから、ダンボールをちゃんとした容器に収めるのが無難であろう。しかも引っ越し早々、冬に向けての様々な寒冷地対応グッズを購入しなければならず、分からないままに買い揃えることになって、誠に不経済極まりない。何とこれらのグッズ購入の費用が馬鹿にならない。 

 

(二)近くても冬の通学は車で!

 官舎は大学構内の端にあるので、グランドの横を通って各学科の建屋内を渡り歩き(二階が互いに連絡通路で結ばれている)、正門に出てそのまま真っ直ぐ道路沿い進むと、私の勤務場所に辿り着く。その間約十分である。外を歩いている時間は全体の三分の二くらいである。マイナス二十数度にもなると、雪と寒さで(いや、痛さと言った方が当たっている!)この程度の暴露時間でも南方系の人間にはきつい。しかも道路は除雪されているものの、両側に雪が押しやられて擂鉢状になっているから、極端な場合、転ぶと道路側に滑ることになる。これは危険である。道路脇ではないが(実際は歩道らしきものはあるのだが積雪でその境目は分からない)、実際私はよく転んだ。シーズンを通じて合計五、六回は転んでいる。特に凸凹のアイスバーンは、慎重に体重移動しながら歩くことがコツのようだ。  

 というわけで、青空駐車の雪氷融解に暖気運転に何十分掛かろうとも、時間を掛けて暖房の効いた車に乗る方が安全なのである。燃費はリッター数キロメーターと昔のアメ車並ではあるが・・・。なお、駐車のときは必ず前後のワイパーを立てておかないと、積雪や凍りついたときに対策がしにくくなり、大変である。冬用ワイパーでも強引に動かすと壊れてしまうから注意が必要だ。

 

(三)車のトランクには必ずスコップを!

 冬の車には乾パンや水、毛布を積み込んでおけとも言われるが、スコップ搭載は絶対条件である。雪かき用としての必需品である。北見から三十分の女満別空港に、車を駐車して東京に出張して帰って来たら、除雪車が駐車している車の前に、雪の土手を築いていたという笑い話もある。助教授の先生、除雪作業でびっしょり汗をかいたそうな…。その他 フロントガラスにこびりついた氷削り落とし器具、雪払い用ハケ、ドア鍵穴凍結防止スプレー等々。遠出して車に閉じ込められるような羽目に会った場合、携帯電話のバッテリーが寒さで用を成さなくなることもあり得ると脅かされると、最悪のケースを考えた用具の搭載が必要となる。尤もできるだけ出掛けないようにするのが最善のようだ!

 

()カレーパンがない(下らんことだとお思いでしょうが・・・)!

 北海道の人はカレーパンを食べる人があまりいないのか、パン屋にもコンビニにもめったに置いていない。大学生協にもないし、大学近くのコンビニにもない。「カレーパン置いていますか」と店員に聞いても「ノー」と言われる。こうなると無償に食べたくなる。あるとき、助教授の先生がカレーパンありましたと言って、私にプレゼントしてくれた。いつもあるわけではなさそうだが、自宅近くのコンビニにあったとのことで、非常に嬉しかった。形はきれいに整っていて、ドーナツのようなお菓子っぽい感じであった。東京で食べるカレーパンの形と違うが、懐かしい味であった!

 なお五月に入って暖かくなって、忘れた頃に学科の知り合いの先生からも、情報がありますと言われ、何だろうと身構えたらカレーパンありましたと・・・。こんなことまで色々サポートして下さる北見の先生方に感謝感激。

 

(五)北海道のドライバーは交通ルールを守らず運転が乱暴(怒りのぶちまけ!)

 北見に赴任する前、北海道のドライバーは譲り合いの精神がなく、運転が乱暴だと聞かされていたが、これほどひどい状況とは思わなかった。正直驚いている。信号無視は日常茶飯事!  車線変更や曲がるときでさえ、ウインカーを出す車は少ない。まして分進(左折のために予め左側に寄って走行すること)なんて言葉は死語である。警察に意見を言うと、この辺のドライバーはおおらかですからと、とんでもないことを平気で言う。ウインカーを出す習慣がないとはひどい指導をしているものである。本州から北見に来て運転すると先ず誰でもビックリする。事故が多いのは当然と言える。兎に角警察の対応が甘い。感じている事項を思いのままに挙げてみると以下のような状況である。

・ウインカーを出さないで平気で車線変更や、右折、左折をする。

・追い越し禁止区域(黄色いセンターライン)でも関係なく普通に追い越しをする。

・街中でもまず制限速度は守らない。二十キロや三十キロオーバーは当たり前。

・車間距離を取ることをしない。ピッタリくっついて来る。

・一時停止も無視して突っ込んで来る。

・軽自動車でも平気で右側追越車線をゆっくり走り続ける。一般車も追越車線の意識は全く無い。

・横から出て来た車を、間に入れてあげようという気持ちは毛頭ない。

・十字路やT字路で、相手の車が左方向から右折するときショートカットして曲がって来るので、車の右側ヘッドライト部分をぶつけられそうになり怖い。通常の左側通行をすることをしない。

・制限速度を多少超えて走行していても追越しされるのが普通なので、対向車との正面衝突の危険が絶えずあって極めて怖い。

・横断歩道に人が渡ろうとしていても無理やり通り過ぎ、止まろうとしない。歩行者信号が青でも危険。

・譲り合いの気持ちは皆無。

等々である。東京人には信じられない。

 ある先生の話によると、十勝型事故というのがあるそうだ。見通しの良い、だだっ広い荒野の十字路で、互いに猛スピードの側面衝突が発生するという。同じような高速で飛ばしていて、お互いの車が止まっているような錯覚に陥り、気がついたときには衝突しているという事故だそうだ。兎に角交通ルールを守らないドライバーが多いので、こちらがルールを守っていても(気をつけていても)巻き添えを食うことは大いにあり得る。死亡事故は日常茶飯事で、ニュースを聞いても又かという感じである。

 ひどいルール違反車については、車のナンバーを北海道警察北見方面本部にメールして、罰則を要請しているが、冗談ではなく、報奨金付き密告制度がこの北海道国には必要かも知れない。警察も、こちらの人はおおらかですからと、ルール遵守に対して極めて甘い。兎に角、北見のドライバ−はマナーが悪いの一言では済まされない(タクシーの運転手さんに言わせると、北見もひどいけど道南もひどいよとのことだが・・・)。

 色んな手が考えられるが、どうも真剣に取り組む姿勢が希薄な印象を受ける。交通安全週間には、例えば「ウインカーを必ず出そう」とか「信号無視はやめよう」、「せめて制限時速の二十キロオーバー程度に押さえよう」、「黄色いセンターラインではせめて追い越しだけはやめよう」といったスローガン、標語を掲げるべきである。「交通安全に気をつけて運転して下さい」の呼びかけは全く能がないと言える。 

 東京から来た客が一様にひどい運転に驚いているのだから、大袈裟な表現ではないことが分かろうというものだ。「ウインカーを出さないか、出しても遅すぎる。車間を取らない。信号無視。スピード違反。無理な追い越し。」の指摘は、これまで来た客の全員に共通していた。

 濃霧の美幌峠でトラックの後を、僅かな車間でくねくね曲がった道を登っていたときのことである(制限速度をいくらかオーバー気味に走行)。後ろからいきなり黄色い線(追い越し禁止区域)を越えて私の車(トヨタRAV4)の前に入りこんできた車に思わず急ブレーキ!  その車はさらに前のトラックを猛スピードで追い抜いて走り去った。二千一年七月二十二日(日)の夕方五時半頃の出来事である。車はトヨタの白っぽいセダン(北見33 せ6008)であった。運転していた東京から来た同僚と、助手席に座っていた小生の目にはっきり車のナンバーは捕らえられた。逮捕して厳罰に処すべしとの意見書をメールで北海道警察北見方面本部に送ったが何の音沙汰もない。 北海道は不思議な国である! このようなことが日常茶飯事なのは、矢張り北海道が広大でおおらかな性格だからなのだろうか。郷に入ったら郷に従えの例えか!

 

(六)北海道の人は過去形で言うのが一般的??

 数年前に北海道を旅行したときにも、ホテルのカウンターでのやり取りで気にはなってはいたのだが、今回北海道に住んでみて間違いないと確信したのが、過去形の話し方である。と言っても読者は何を言っているのか分からないだろうが、飲食店のレジに行けばすぐ分かる。例えば同僚二人で食事の支払いをしようとする。レジ係りは「ご一緒でよろしかったですか」と言ってくる。「えっ、まだ金も出していないし、何も言っていないのに」と言うことになる。普通は、「ご一緒でよろしいですか」と言うべきなのだが、北海道では過去形で話すのである。兎に角慣れないと仕方がないが、非常に気になる言い回しである。数年前のホテルのカウンターでは、「本日の夕食メニューはこれこれがございます。これこれでよろしかったでしょうか」であった。

 あるとき、助教授の先生と学外に昼食に出掛け、ランチを食べ終わった頃に、ウエイトレスが「コーヒーは今お出ししてもよろしかったでしょうか」とコーヒーを出すタイミングを聞いてきた。まだコーヒーを持ってきていない状況での声かけである。非常に気になる私は、すかさず「何故過去形を使うのですか」と聞いたが、相手はきょとんとしている。駄目押しで「お出ししてもよろしいでしょうか」とは言わないのですかと聞き直すと、「ずーとそうですから」と言う。「確かに言われてみるとそうですが、別におかしいとも思わず使っています」と。これは方言というより文法の問題である。と言っても仕方のないことではあるが・・・。傍らで助教授の先生笑いをこらえていました。でも未だに気になる表現ではある。この用法、最近では北海道に限らず全国に飛び火しているようだ。

 もう一つ。「おばんでした」と言って店に入って来る客がいる。「おばんです」ではなく過去形である。知り合いになった寿司屋の博識旦那によると(インテリ寿司屋と自称している)、現在形より過去形で挨拶された方が当たりが柔らかく感じるとの講釈。「おばんでした」については、センター長の先生宅のバーベキューに誘われてお邪魔したとき、近所の方も入って色々な話題で盛り上がっていた中にも登場した。結婚して千葉県から北見に来たと言う奥さんも指摘されていた。電話で「おばんでした」と言われてビックリしたそうな。まだ話もしていないのに終わるなと、お酒の勢いで楽しい話を色々聞くことができた。

 

(七)その他の気になる表現

 生活の中で出会った順番に挙げてみると、先ず「あずましくない」という言い回しがある。英語のノットコンフォタブルがぴったりだそうだ。しかも肯定形では使用しないと言う。

もう一つ、方言ではないが語尾を上げる表現もよく耳にする。例えば、「何々なんです」の最後の「す」を疑問形のように語尾を上げるのである。これは何々なのですよと相手を説得する気持ちと、自分の意思確認の双方が込められているような気がしている。

ある飲み屋に行ったら、北海道弁が短冊に書かれてあって、その下に意味が記載されていた。ユニークな店だが、道外から来るお客への話題の種にとの配慮かも知れない。色々あったが、実際に耳にしたのはわずかしかない。長くこの地にいれば増えていくのであろう。

 

(八)寒い深夜に花火を打ち上げたような大きな音が官舎に響く!

 「何だ! 今の号砲は!」寝ぼけ眼で目覚まし時計を引き寄せると、何とまだ午前三時半。築三十数年くらい経った鉄筋コンクリート造りの官舎は、寒さに耐え切れずに大音響を轟かすのだと、ある先生が冗談を言う。鉄骨が縮んである部分に大きな応力が発生し、限界を超えたときに支えが外れて跳ねる音だと言う。まさに大砲を打ったようなドカーンという大音響で、初めての経験でビックリ仰天する。マイナス十五度を下回ると、大音響発生の確率はかなり高かった。ある土曜日の夜、ウイスキーの水割りを片手にテレビを見ていた午前一時を回った頃、何気なく居間のカーテンを開けて、ベランダ越しに寝雪の状況を眺めていたら、突然ベランダから大きな一撃が発生した。「手すりだ!」思わず叫んだのを覚えている。ベランダで大音響が鳴り響いたのである。翌朝ベランダに出て調べてみたが、これといった亀裂も見つからなかった。不思議である。ただ手すり支持部のコンクリートには多少のひびが認められたが、これが昨晩できたものかどうかは不明である。三十数年間大音響をさせながら年月を経てきていることを考えると、いささか恐ろしくなる。少しずつ壊れているのではないかと・・・。家の中がよく凍りつくのは、断熱材が大音響のたびに滑り落ちているのかも知れない(ストーブを焚かないと外気温とあまり変わらないところを見ると、断熱材はほとんど効いていない)!

 

(九)官舎以外は何処に入っても暖かい!

 たいては何処に入っても普通の格好で済むから、なまじ厚着をすると汗をかいて大変である。 助教授の先生は鹿児島県のご出身であるにも関わらず(南方系の人種)、マイナス二十五度の外気温の世界でもランニングシャツにYシャツ、ブレザーの出で立ちである。ズボン下もはかないと言う。車の乗降時のみ凌げば、後は快適ということである。北海道の部屋の暖房温度は、東京の一般家庭やオフィスビル等、建物内の温度より遥かに高く設定されている。暖かいというより暑いという感じである。その昔、北海道の人達は部屋を暑くして、ランニングシャツ一枚でビールを飲むと聞いたことがあるが、まさにそんな感じがする。築三十数年で、断熱材がその役目を果していないと思われる官舎の寒さに耐えるには、多少なりとも下着からの防寒が必要であり、どうしても厚着になってしまうのはやむを得ない。こまめに調節をしないと風邪を引く原因ともなる。何年も住んでいると、その辺りの着こなしがうまくなるのであろう。

 

(十)冬の道の歩き方

 酷寒地・雪国ならではの面白い靴がある。歩き方が慣れないからよく引っ繰り返る。頭を打つとまずいので厚手の帽子をかぶるのだが、氷着いた道では結構痛い。滑らないように靴底に金属爪のついた靴が市販されている。こちらの人達はあまり購入しないそうである。アイスバーンを歩く場合には手で金属爪を立て、建物内では金属爪をたたむのである。実は使ってみて一日で止めた。理由は、すべて均一なアイスバーンの上だけを歩くには便利だが、路の状態は千差万別であり、一々靴に合わせて歩行場所を瞬時に選択しながら歩くのは至難の技である。 一般の靴に滑り止めをかぶせるグッズも市販されている。これも試したがすぐ外れるので歩きにくい。結局歩き方を体得する他ない。生活指導アドバイザーの先生のお宅で、奥さんに何故こちらの人達は普通の靴で滑らないのかお聞きしたら、私達は冬の気配を感じる頃になると足の裏に角が生えてくるのですとのお返事。これには参った。でも気構えとしてこれは当てはまる。幾度となく町の飲み屋街を歩くときに、センター長の先生から極意を教えて頂いた。先生曰く。「足をつっぱて歩かないように、少し中腰の感覚で外側にふんばるようにするのがコツ」と教えられた。身体で覚えるより他ないと言われた。ごもっとも。

 

(十一)雪では傘をささない!

 こちらの人は雪ぐらいでは傘をさすことはしない。私が傘をさして歩いていたら、ある先生に笑われた。新潟の雪のようにべたべた湿っていないので、はたけば取り払えるから、傘はささないのだそうだ。それに傘をさして歩くと危ないとのことで、私も防寒帽だけで傘は止めた。まさしく傘は雨のときに使うもの(日傘は別)と改めて認識した次第。雨傘の本来の意味に、素直に納得。なお札幌も日本海側の雪なので、かなり重たくべとついており、傘を使わないとかなり濡れるそうである。

 

(十二)官舎の凍り付き対策

 冬場は外出、出張する場合も最低火力でストーブは消すなと教えられる。地震のことを考えると心配で、どうしても消してしまうがこちらの人はそんな心配は意に返さないようだ。耐震消火装置はついているものの、本質的にポットタイプの石油ストーブなので、耐震装置が作動して給油をストップしても、ポット底面に溜まった灯油は燃え尽きるまで消えない。つまり瞬間消火しないのである。 当初火事が心配で必ず火は消して大学に通っていた。水道の水抜きをして、トイレ等水溜まりの個所には凍結防止液を垂らしておけば先ず大丈夫であったが、そのうちだんだん寒くなって風呂釜が凍り付き始めた。水抜きしても、水平管の部分に残った水や蛇口部が凍ってしまうのである。強力ヘヤドライヤのお出ましである。温風でも何とかならない場合には、熱湯を掛ける。さらにその併用とエスカレートする。だんだんコツを覚えてきて、水抜きした後、蛇口を口にくわえて思いっきり息を吹きかけ、他の蛇口から残水を排出する。これを数回繰り返す。お陰で肺活量が増えたような気がする。

冬場は浴槽にお湯を張るのに二時間近くかかるので、ほとんどシャワーで済ます。ただ気をつけて風呂場に足を踏み入れないと、氷の破片で怪我をすることになる。予めシャワーを出しっぱなしにして蒸気を立ち込めておくのであるが、ちっとも暖かくならない。立ったままシャワーを浴びている所だけ氷は溶けるが、浴室マットも床タイルにピッタリ凍り付いて、先ず離れることはない。ほとんど浴室周囲は氷のままである。お陰で洗髪と全身洗いで五、六分以内に飛び出るウルトラ早業が身に付いた。

二月中旬の最も寒い時期に、東京に数日間出張した時のことである。北見に戻って、そのまま大学で仕事をして夜遅く帰宅したら、大元の水抜き用バルブのスイッチをONしても、うんともすんとも言わなくなった。大変だ。水が大元から上がってこない。 トイレも多少の凍結防止液では凍り付いてしまっている。こういうときに限って生理現象を呼び起こすものである。慌てて大学のトイレに掛け込んだことがあったが、それ以降は凍結防止液をけちらず、たっぷり原液を流し込むことで凍り付きはなくなった。寒いときはストーブに最低火力の火種を残して出掛けても、凍り付くときは凍り付く。大学正門の守衛室から融雪機(溶接機の電源)を借りてきて(勿論車に積み込まないと重くて運べない)、官舎の一階床下の大元と、二階の部屋の水道管に電極を挟んで電流を流し、水道管全体を加熱するのである。電極の接点部がパチパチと火花を放ち、それは恐ろしい。ちくちく痛い寒さに、必死に耐えながらの作業である。十五分から二十分くらい待っていると徐々に閉塞部分が解けて、一気に水が流れ出す。便秘症がすっきりした快感である。さらに、水が出ても流し部が凍り着いていては何にもならない。断熱材で覆われた流し部を電熱ヒータで暖めると、三十分程度で流れるようになる。と、まあ寒い日は大変である。だんだん手順が慣れてきた頃には、凍り付きも緩めの気候にになってくる。でも重労働には違いない。

これだけ色々凍り付くわけであるから、十一月下旬になると大学の総務課から、官舎居住者に注意の通達が回ってくる。ビールや缶・ビン物は、凍り行き防止のため必ず冷蔵庫に収納のことと!

 

(十三)台所に設置してある洗濯機が凍り付く!

 洗濯機の水を抜いておいても排水弁に残った水が凍り付くので、先ずヘアドライヤで排水ホースの反対側の穴から温風を送り込む。十0分もすれば切り替え弁は作動するようになる。最初温水を使用して洗濯したが、排水しなかった。ここでもヘアドライヤは強力な武器である。それでも駄目な場合は、洗濯機の裏板を外して直接切り替え弁を加熱することになる。一々裏板を取り外したりビス止めするのは、手がかじかんでいるので大変な作業である。

ただ湿度は三十%以下(二十%前後になるときもある)と非常に乾燥しているので、洗濯物は部屋の中に吊るしておくと翌朝には乾いている。加湿器代わりにもなって風邪防止には都合が良い。

 

(十四)氷と寒さはビジネスになる!

 初めて網走の流氷砕氷船に乗った。船が乗り上げて、分厚い氷を砕いて行く迫力は凄い。ドーンと音を立てながら船体が大きく揺れる。エンジン音が苦しそうに高くなる。まさに迫力万点である。流氷に大鷲が羽を休めていたり、沖合いに鯨が泳いでいたりするのに出くわすと、思わずシャッターを切ってしまう。一時間の乗船で三千円でも、折角来たのだからと必ず乗り込む。団体は二千七百円で子供は半額。定員四百五十名で二月、三月に一日五便就航する。一月と四月についても、流氷の砕氷はないものの、一日四便就航している。乗船率にもよるが、ざっと五億以上はありそうだ! 乗船ターミナルには土産物も売っているから、さらに上乗せされる。ただ冬場以外は普通の海である。一年の稼ぎを数ヶ月でやる商売である。損益分岐点は分からない。北海道的助成システムが働いているのかもしれないが、それはここではあまりつつかないでおこう。

 

(十五)毛蟹は春が最盛期!

 恥ずかしながら長い間知らなかった。お歳暮で蟹が行き来するので、今までてっきり蟹は冬のものと決め込んでいた。しんしんと降りしきる雪の夜の旅館で、酒を傍らに無口でつつく越前蟹の類は冬の代名詞としても、北海道の蟹は全く季節が逆なのである。 

 どこのスーパーにもオホーツクの海産物が所狭しと並ぶのは、流石北海道という感じがする。それもすこぶる安い。毛蟹が一匹四百五十円、たらばも二千円弱で山積みされて売られている。たらばは大きな足だけを数本、千数百円で並べているので、毛蟹とたらばを適当に取り混ぜてセットで安く買い込んだこともある。三日間カニずくしのときは流石に食傷気味になったが、贅沢なことである。味噌の部分は三日もおいておくとまずいようで(傷む??)、少々腹が緩んだ。ズワイガニもあるようだ。なお、真っ赤な花咲蟹は夏が最盛期である。

 

(十六)ホタテやツブ貝も最高!

 生活指導アドバイザーの先生と、機能食品・健康食品等の大家の先生に、バーベキューでご教示頂いた。ホタテも生きている殻付き二十個くらい入った袋で、千円ほどで手に入る。ツブ貝はもっと安い。いずれもバーベキューの食材として最高である。ホタテを火にかけるときは、貝柱を切って、丸みを帯びた方の殻を下にして焼くのがコツ。平たい方を下にして火にかけると、中身は平たい側の貝柱にくっついて火は通るが、醤油を垂らしたときに、じゅうじゅうと外に滴り落ちてしまうのである。そのために丸味を帯びた方を下にするのである。ところが身の方は平たい側の貝柱にくっついているために、焼いているとそのうち蓋が開いて、身が天井側に位置することになってしまい、丸みを帯びた殻だけを加熱することになってしまう。丸みを帯びた殻の方に身を落とすために、焼く前に貝柱を切っておくのである。正に生活の知恵である。ツブ貝は巻貝ゆえ、醤油を垂らしてあまり火を通すと中にこびりついて、妻楊枝くらいでは捻り出せなくなってしまう。この辺のコツや知恵は、流石理にかなっていると感心する。なお、ズワイガニも焼くと香ばしくなり、酒の肴には絶品である。

 あるとき助教授の先生にホタテの焼き方のことを話したら、先ず平たい方を下にして火を通すと貝柱が切れて蓋が開くので、今度はひっくり返して丸みを帯びた殻を下にすると、身も下に位置して醤油も掛けられるそうだ。これで失敗したことはないと言われたので、この方が貝柱を焼く前に切っておく手間は省ける。ただし殻をひっくり返すときに熱い思いをすることにはなる。どっちを選ぶか。つまらんことを悩むのが、美味しいものを食べるときの喜びかも知れない。知恵を尽くしたものは美味しい!

 

(十七)熊や鹿も食べたぞ!

 食の大家の先生曰く。「熊や鹿が取れるので毎年食べられる」と。兎に角色んな食材を集められては、健康食品の研究開発をやられている。熊の手を食べた感触は以外に淡白であった。木の実や自然のものを食べている熊の肉は臭くないと言う。人里に近いところに出没する熊は、色んなものを口にしているので臭いがきついそうだ。むしろ鹿の方が油っぽい感じがした。この上、馬肉が出てきたら何をか言わんやであるが、北海道の人は馬は食べないそうだ。開墾時代の救世主的存在の意味合いがあるのか、絶対に食べる気にはなれないと言われるのは、なるほど生粋の道産子であるセンター長の先生の口から出た言葉であった。

 

(十八)まだあった方言!

 「いずい」と言う表現もよく聴いた。「ちょっとこれはいずいんじゃないかな」なんて表現である。状況判断では「まずい」という意味に取れる。居心地が悪いという意味合いもあるようだ。

 「しゃっこい」と言うのもある。これは「ひゃっこい」がなまったもののようだ。冷やっこいのことである。これは想像がつく。

 ある呑み屋で「そこにあるのを投げて」と言われて投げたら、ビックリされてしまった。「投げて」とは捨てて」と言うことだった。その呑み屋で色々教えてもらった中には、「ちょす」、「けっぱる」、「こわい」、「ゆるくない」等がある。「ちょす」は魚などを「裁く」という意味だそうだ。さらに「ちょすな」と言うと、「からかうな」と言う意味もあるとか。「けっぱる」は「頑張る」、「こわい」は「疲れる」、「ゆるくない」は「きつい」と言った意味である。「この仕事はゆるくないわ」といったように使うらしい。ちんぷんかんぷんだったのが、「じょっぴんかる」。「鍵を掛ける」と言うことだそうだが、全く想像がつかない。「じょっぴんかっといてー」と良くお婆ちゃんが使っていたと、大学の若い事務員が教えてくれた。「鍵掛けておいてー」だが、今は使う人はほとんどいないと言う。

 

 

(十九)春の気配で心うきうき!

 長くて寒い冬を過ごした者にしか、この春を迎える喜びは分からないであろう。寒冷地・雪国に住んで初めて味わった感覚である。一面銀世界、吹雪の世界から、やがて大地が緑に覆われ、タンポポや芝桜の色取り取りの鮮やかな風景に変わると、ああ待ち望んだ春がやってきたのだという、何とも言えない心うきうきした気持ちになる。こんな気持ちは新婚以来かも知れない(ちょっと大袈裟過ぎるか!)。「タンポポに競うて咲くや芝桜」なんて重複季語での春を祝う歌まで出てくる。 タンポポは生命力、繁殖力が非常に強く、いたる所に生えている。芝桜は、手入れをして家の周りや公園等に咲かせる鑑賞花であり、春を待って野生のタンポポに負けじと、街を彩って頑張っている。芝桜は、東藻琴村の山全体を覆った景観の素晴らしさが有名であり、四月中旬から五月中旬までの約一ヶ月間、道内外の観光客で賑わう。人も花も寒冷地・雪国の長い冬を、やっと抜け出したと語っているようである。しかし油断大敵。夏日になってクーラーを入れたかと思うと、翌日は雪の降る天気に激変するのである。流石にこれには参った。あまりの激しい温度変化に身体がついていかないのである。それ以来しばらく体調がなんとなくおかしかった。五月に入っても雪が降ると言われてもピンとこなかったが、なるほど納得した。五月連休中にゴルフを楽しんでいたら、雪が降り出して慌てたこともあった。このようにオホーツク圏の天候は激変する! 一方、真夏はカリフォルニアに勝るとも劣らない、素晴らしいオホーツクブルースカイを満喫できる。

 

(二十)季語の錯覚

 「桜は四月の入学式にふさわしい」と言うのは東京だけ(関東以南?)に成り立つ表現と言える。桜前線は一月の沖縄に始まり、五月中旬から下旬(六月にかかるときもある)の根室に終わる。TVニュースを見てもなるほど文化、慣習までもが東京一極集中と言うわけだ。ニュースキャスターの「今日は暑いくらいでしたねー。それでは○○さん、天気概況をお願いします」は、まさに自分達の状況だけで自然に発せられた言葉であり、日本の端っこに住んでみて、初めてその大きなズレを身をもって知ることになる。こちらは雪がちらつくマイナス気温で、一ヶ月以上も(年によっては二ヶ月以上も)遅れているわけである。と言っても、そのまま全てに遅れたタイムラグがあるわけはない。冬は逆に二ヶ月以上も前倒しでやってくるのだからたまらない。

 「北見に住んでいる人は、ニュースもそういうものだと思って見ているので慣れています。東京や大阪から来られた人は違和感があるかもしれませんが直ぐに慣れますよ。テレビを見て憤慨されるのは斎藤先生だけですよ」とは、毒説インテリ寿司屋の大将の言葉であった。 

 

(二十一)杉花粉症はない!

 東京で杉の花粉症に悩む先生が講演のため北見に来られて、二日目にまったく症状がなくなったとおっしゃった。なるほど空気がきれいで、杉花粉がないのでスッきりされたのであろう。ところがである。五月に入って寒さと決別した途端に、小生、鼻がむずむず、目がちかちかし始めたのである。助教授の先生曰く。白樺かポプラのアレルギー症ですと。ああー、「凍り付き」の一難が去ってまた一難である。四月下旬から六月上旬が、くせものらしい。

 

(二十二)車の衣替え!

 長い冬が終わろうとする頃、車もいよいよ衣替えをする。柔らかめのスタッドレスタイヤから、固めの夏用ハードタイヤに取り替える。毎年替える時期を悩むそうである。五月の連休中に雪が降ることがあるので、たいていは連休明けに替えるのが無難だそうだ。私も生活指導アドバイザーの先生宅の駐車場にお邪魔して、タイヤ交換の手ほどきを懇切丁寧に受けたが、これが大変な重労働であった。何しろ純正の工具ではボルト一本はずせない。別に用意された十字レンチをお借りして、何とか四本のタイヤを取り替えた。近くを試験走行して異常がないかを確認してから、再度ボルトの増し締めを行う。翌日は腕と背中が異常に痛かった。衣替えはこれだけではない。フロントとリアのワイパーも夏用のものに取り替える。何しろ初めてのことなので、なかなかスムースにいかない。うまく考えているものだと、取り替えてみてその簡単な機構に感心したりする。しかしリア側ワイパーはさっぱり分からなかった。取り説にも載っていないし、不親切極まりない。地元の人は簡単に取り替えできるのかと思ったら、やはり自分の慣れている車以外は無理のようであった。初めての場合はディーラーに頼むしかなさそうである。

 

(二十三)一日の気温差が大きい!

 前述したが、一日の最高気温と最低気温の差が大きいのには参る。暖かくなってストーブが要らなくなったかと思っていても、朝晩は数度なのでどうしても暖房が必要になる。これは東京辺りに住んでいると感覚が分からない。実は着るものにも困るのである。特に困るのが、東京出張のときである。厚着して出掛けると、羽田に降り立ったときに汗をかく羽目になる。成田同様、羽田にもコート等の貸しロッカーが欲しい。夏に冬の国に行く、また冬に夏の国に行くのと同じである。国内線でもそのような状況は生じているのである!

 六月から七月半ば頃が一番きつい。昼間三十度でも朝晩数度にまで下がることがある。事務官の人が言っていたが、「ストーブは一年中使います」とは何も大袈裟な表現ではないようだ。

 

(二十四)春を告げるカッコウの鳴き声

 昼間暖かくなって油断すると、朝方から夜にかけて気温が下がる。朝夕ストーブがほしい間はまだ本格的に春に向かっているとは言えないようだ。毛布の布団を朝方に蹴飛ばす頃になると、近くの公園や森の木々からカッコウの鳴き声が聞こえてくる。農家の人は、カッコウが鳴いたら種まきをしても大丈夫だと言う。カッコウが鳴く頃は、遅霜や雪の心配がないのだそうだ。生活の知恵なのであろう。不思議なもので一旦鳴き出すと、時間を問わず方々でカッコウの鳴き声を聞くことができる。早朝といわず、昼間といわず、夕方といわずである。流石に夜中に鳴き声を聞いたことはないが・・・。カッコウの鳴き声の聞ける大学町は、なかなか風情があっていいものである。

 

(二十五)加湿器は必需品

 冬の洗濯物は部屋ですぐ乾くことを紹介したが、何せ、できるだけ洗濯物を出さないように工夫する単身の身ゆえ、一週間か二週間おきにしか洗濯はしない。屋外排気式のストーブは部屋をからからにする。昔NHKが司馬遼太郎さんの風邪防止法として紹介していた、首にスカーフを巻く方式を思い出し、寝るときにタオルを首に巻くことを思いついた。それでも北見の冬はカラカラに乾燥する。加湿器を買おうと、休みに近くのホームセンターに出掛けたら、たまたま売れ筋商品がない。そうこうしているうちに、生活指導の先生が使ってないからと、角型の小さいやつをわざわざ持ってきて下さった。これは助かった。六畳の部屋に置いて寝ると、喉のカラカラ感は解消した。お子さんのいる家庭は、風邪防止のためにも加湿器は必需品であろう。それにしても自宅にいるときは冬中、スカーフならぬタオルの襟巻きファッションに終始した。

 

(二十六)灯油は必ず予備タンクにも備蓄を!

 酷寒の地には、灯油は絶対に切らすことのできないものである。普通、一般の戸建ての家庭には四百リットルの灯油タンクが設置されている。官舎には九十リットルの縦型にした角型タンクが部屋に設置されているが、すぐ灯油切れを起こしそうになる。そうこうしているうちに慣れてきて、だんだん灯油注入時期の予測ができるようになり、残油インディケータの針の位置が感で当たるようになった。それでも灯油の配送車が吹雪で動けない等、万が一ということもあり得るので(日曜日は配送しない)、予備のポリタンクは必須である。私は常時二つ置いていた。

 それにしてもビックリ仰天したのは、高々四十リットルくらいしか入れないのに、電話したら大型のタンクローリー車が官舎の前に横付けされた。これには驚いた。でも当然である。四百リットルタンクが一般的なのだから、何軒も回ることを考えれば、タンクローリーが各家庭を回ることは不思議ではない。東京では考えられない光景に、度肝を抜かれたのが正直なところだ。下から私の二階の部屋まで階段を這わせてホースを引っ張ってきて、ガソリンスタンドと同じように、手馴れた手つきで一滴も零すことなく注入してくれる。自動計測されて金額に変換され、プリントアウトされたレシートをすぐ出してくれる。それにしても灯油もガソリンも東京より遥かに高い。ガソリンに至っては、北見のレギュラーと東京のハイオクがほぼ同じ値段である。物流コストと需給関係で値段が決まる自由経済市場の原則を、改めて認識させられた次第。

 

(二十七)北見の玉葱は冷蔵庫で一ヶ月以上も持つ!

 北見は玉葱の産地であり、日本全国の60%を出荷していると言う。ただ、硬くて甘味は少ない。堅くしたのは、品種改良によって長持ちさせるためであったとのこと。従って大半はソテーにしてレトルト食品に用いられるものが多い。全国の端境期を狙って北見産の玉葱を出荷するそうで、味は二の次の感が強い。しかし長持ちしてくれるのは助かる。纏め買いをして、必要な時に食することができるメリットは大きい。冬、買い物に出るのは億劫だから、長持ちする玉葱はそれなりに効用がある。尤も食品加工センター辺りでは、お菓子に混ぜたり、青汁に混ぜたり、奈良漬けにしたりと、用途拡大に必死である。北見の特徴である堅い玉葱の奈良漬けはかなりいける。近年健康食品、健康飲料ブームであり、北見の玉葱に他の産地や輸入物にはない有効成分が多く含まれていれば、それはそれでまた売りにはなるのだが、残念ながら定性的比較データがまだない。

 女房が北見に来た時に堅い玉葱を見て言った。ネギラーメンがあるのだから、千切り玉葱をサッとすばやく油で揚げてラーメンの上にたっぷり乗せれば、シャキシャキ感のある健康玉葱ラーメンが売りになるのではないかと・・・。北見名物「シャキ玉ラーメン!」とでも言おうか。ただ自分では、一人で油を使うのは後始末が面倒なので、未だにトライしていない。差別化はお客様が評価するものであるから、ブランド戦略とともに構築していく努力が必要であろう。

 暫くの間は、玉葱一、二個をスライスして、数回水洗いしたものを冷蔵庫で一晩寝かし、翌朝酢醤油をかけてムシャムシャ食べていた。血液サラサラを信じて!

  

(二十八)朝早く日が昇り、日が沈むのも遅い!

 北見の夏至は本当に昼間が長い。朝は三時半頃から夜が明け始め、夜は七時半過ぎ頃まで明るい。余程分厚いカーテンで締め切っておかないと、間違いなく頗る早朝に起こされてしまう。その真夏に何回となく食の大家の先生にお連れ頂いて、三時過ぎ頃まで呑み歩いていた。「夏になると、うっかり呑んでいると夜が明けるからビックリするよ」と先生言われていたが、なるほど良く分かった。丁度夏至の日に、斎藤官舎旅館に宿泊した東京の賓客曰く。「明るくて目が覚めた。四時前だよ。白夜みたいだ!」と。ここでは早朝野球大会が盛んだそうだ。早朝ゴルフやテニスを二時間くらいやって、ゆっくり職場に向かう楽しみもあることを教えられた。サマータイムは是非やる価値のある地域であろう。北見サマータイム実施でPR効果は抜群であろう。

 最近コーヒーとビールを飲んで寝るのだが、必ずと言ってよいほど四時前に目が覚める。夏は確かに世の中すでに明るい!

 

(二十九)トド松とエゾ松

 例のインテリ寿司屋の大将が教えてくれた。トド松は天までトドけと枝が上を向いており、エゾ松は枝が下を向いてうな垂れているのだと言う。幹の肌つやも、つるつると、がさがさで、見た目も違っていると言う。ある日、助教授の先生と昼食に出掛けたときに、もう少し詳しく教えて頂いた。トド松は枝が上を向いているとはいえ、雪の重みで肩の部分は下がっていて、先の方だけが上を向いているものが多いとのこと。なるほど説得力がある。別にこんなことを知っていたってどうってことはないのだが・・・。でも北海道に住んでみないと、こんなことは耳にしないことであろう。

 

(三十)バーベキューの季節

 北見ではたいていの家庭が、バーベキューセットなるものを持っている。暖かくなると納屋から持ち出して、庭でワイワイやるのである。春を待つ喜びを形に表したものと言える。四月下旬にセンター長の先生宅で、学生諸子を交えての焼肉バーベキューを初めて経験したが、このときは夕方になって少々寒くなった。昼間の三十度近い暑さからは信じがたい。勢いビールやワインで身体をポカポカさせることになる。 

 ところで北見は焼肉屋が多い。バーベキューでビール片手に食べる焼肉の味は、また格別である。炭をおこすのもまた楽しいものである。これまで色んな所でバーベキューをやってきたが、北見のバーベキューは一味違うような気がするのは、余程冬の寒さに虐げられたからであろうか! センター長の先生宅と生活指導の先生宅で、そして食の大家の先生の研究室で、バーベキューの楽しみを改めて教えられたような気がする。

 

(三十一)何と七夕は一ヶ月遅れの八月7日!

 七夕が八月七日というのには驚いた。子供たちは七月七日が七夕であることを知らない。でも庭でバーベキューをやりながら夜空を眺めるには、八月が季節的にも最適なのかも知れない。しかし、ひまわりとコスモスが一緒に咲いている光景をあちこちで目にすると、少々頭が混乱してくる。兎に角立秋を過ぎてから一週間ないし十日間くらい日中暑い日が続くが、空は秋の雲(いわし雲)である。天高く馬肥ゆるの秋空なのである。でも何故七夕だけが一ヶ月遅れなのだろうか??

 

(三十二)夕張だけがメロンではない!

 赤の果肉の夕張メロンは、そのネームバリューからいって全国に通用するメロンであり、初値はお祝儀相場で一珠十万から二十万円も付く! おそらく東京のデパートの客寄せパンダか、料亭向けであろう。炭鉱が閉鎖されて映画の町、夕張メロンの産地としてのブランド構築までに、二十年近くかかっていると言う。しかし他も負けてはいない。富良野メロン、訓子府メロン、穂別メロン、美深メロン等々、夕張メロンより安くて美味しいメロンはいくらでもある。夕張メロンは多分に高級ブランドのイメージで売っている。訓子府メロン等、他のメロンを食べると、なんでこんな高いメロンを追いかけていたのかと思うことしきりである。

 

(三十三)北見は呑み屋が多い!

 中心市街地一帯に呑み屋街が乱立している。近隣の市や町から北見に呑みに来ると言う。週末は網走や訓子府、温根湯辺りから来ている人によく出くわした。大店舗が周囲にできたことで中心市街地の店は閑散としているが、夜になると一変する。ネオン街の元気な街に変貌するのである。しかも北見は不思議な街である。行政や警察サイドの締め付けか厳しいのか、表向き性風俗の店が一軒もないのである。離婚率は高く、自立した女性の働き口として呑み屋が大いに頑張っている構図のようだ。

 

(三十四)「観楓会」とか「観楓の宴」??

 事務員の女性に「かんぷう会」で打ち上げやりませんかと言われたことがある。寒い風の中でいやですよと言ったら、彼女曰く。「かんぷう会」って聞いたことありませんかと。要は楓を眺めながらの呑み会(紅葉の時期の呑み会)のことらしく、北海道特有の言い回しのようだ。寒風ではなく、文字を見て「観楓」と知った次第。注意して新聞を見ていたら、なるほど、秋から初冬に掛けての北海道新聞の広告欄に、たまたまこれらの言葉が出ているのを見つけた。勝手な推測だが、雪に埋もれる前に、紅葉を眺めながらこれからの寒くて辛い生活に備えて、元気を付けておこうという意味合いかも知れない。なかなか粋な言葉ではある。

 

(三十五)大量の鮭の遡上を真近に見て感激!

 秋口になると、オホーツク海に面した川には大量の鮭が遡上して来る。浅瀬の河口にも鮭の大群が我先にと押しかけて、最後の力を振り絞っている。河口から海に向かって両側各五百メートルの領域では、釣りをしてはならないとの警告の看板があちこちに立っている。

ただ網走では、そんなことお構いなしの釣り人がわんさと列を成していた。彼らは筋子だけを取り出して、鮭はそのまま海岸に捨てていく。この時期海岸線は、大量の鮭の姿干で埋め尽くされる。多くの海鳥がそれに群がり、異様な臭気が漂って信じられない光景である。

確かに大きな鮭は弱っており、休んでは上流を目指して行く。浅瀬では手で尾びれを掴むことさえ可能だ。口をパクパクさせながら、流れに逆らって上流を目指す光景を見ていると、生命の尊さを感じ、まさに感激あるのみである。蛇足だが、鮭も取れる時期によって色々名称があって、「時知らず」、「目じか」などお値段もちと高い。

   

(三十六)美幌峠、屈斜路湖、摩周湖、硫黄山、阿寒湖はドライブ散歩コース!

 一人でぶらりと出掛けたり、あるいは東京からのお客を乗せて何十回このコースを走ったことか。季節によって景観も異なるし、受け取る感じ方も違ってくるので行くたびに新鮮である。兎に角何処へ行っても雄大なのが良い。冬の美幌峠、屈斜路湖、摩周湖は一面銀世界の大パノラマに感激しきりである。観光のオフシーズンは車や人も少なく、心いくまで自然の雄大さを堪能できる。私はうっすら一面に雪化粧をした初冬の美幌峠と、そこから見渡せる屈斜路湖が好きで、何度行っても飽きないスポットである。東京からの客をここに連れてくると、しばし無言になり、東京に帰りたくなくなると言う。このコースの道々には温泉があり、安く入れる所も多い。硫黄山手前の弟子屈、川湯温泉には、町営の古びた温泉風呂があって、数百円でドライブ途中に立ち寄れる。ここは気に入って、通るたびに幾度となく立ち寄った。阿寒にもこぎれいな公衆温泉がある。 

   

(三十七)ヒグマに出会った貴重な体験!

 北見から帯広に向かう初夏の山道でのことである。運転手の新任助教授と、助手の女性と私の三人で山道を走っているときであった。この辺りは熊が出るんですよと冗談を言っていたときに、助教授が「熊だ!」と叫んで急ブレーキを掛けた。四、五十メートルくらい手前で車は急停止。左側の繁みからのっそり出てきた熊は、じっとこちらを睨んでいる。静かに車をバックさせながら、我々も目を逸らさずじっとしていたら、やがて熊のほうからそのまま右手の繁に入って行った。兎に角ヒグマは大きく獰猛である。腕には鳥肌が立っていた。冬眠明けの子連れの熊に出くわすと怖いが、幸い一頭だけだった。帯広に無事到着してヒグマに遭遇したことを話したら、きわめて幸運だと言う。北海道に何十年も住んでいても、先ず出くわすことはないのに、たった数年しか住んでいない人がヒグマを直接近くで見ることなんて、先ずないと言う。私は自分の運転する車の直前に蝦夷鹿を何度となく見ているし、キタキツネにも遭遇しているが、熊に出会ったときは流石に緊張した。

 

(三十八)幸運と言えばもう一つ!

 実態は不運なのだが、こんな経験は先ずできないという意味で、私は幸運だと言う。北見地方が百年来の(と言っても観測記録が残っているわけではないので、その辺は不明だが)大雪に見舞われたときのことである。温暖化の影響か、年々積雪量が多くなっている印象を受ける。なんと一月上旬から中旬にかけて豪雪となり、一日で何と一.八メートルも積もった。その前にすでに一メートルくらいの寝雪があるから三メートル近くにまでなっている。朝起きてカーテンを開けてビックリ!  二階なのにベランダの軒先までぎっしり雪が積もって、外が見えないのである。横殴りの雪で、ベランダにまで入り込んだのであろう。勿論ガラス戸は開かない。階段を一階に下りて外に出る引き戸もまったく動かない。例え開いたところで、頭上遥か上のほうまで雪が積もっているのだから、如何ともしがたい。外部からの除雪が必要なのである。

 小生その日に東京出張だったが、飛行機が羽田から飛んでこないから諦めて翌日に賭けることになる。出張前ゆえ、冷蔵庫をできるだけ空にしてこうと残り食料も少ない。大学が保有している二台の除雪車フル稼働でも間に合わない。市や自衛隊までも出動して国道の確保を必死にやるも、女満別空港までの除雪が間に合わない。国の特別災害地域に指定されて、翌日空港は一時閉鎖が解かれたが、空港までのアクセスができないので(タクシーで行ったが途中で諦めて引き返した)飛行機は乗客を乗せないで東京に戻って行った。肉饅頭数個でひもじい思いをするとは夢にも思っていなかった。三日目に何とか一斜線だけ道路が確保されて空港にたどり着き、東京に向かうことができた。大量の雪氷エネルギーの有効利用に関する研究なんてよく言われるが、豪雪地帯に住む人はそれどころではないと言うのが本音であろう。住んでみないと生活の苦労は分からない。わずか数年で誰も経験したことがない経験をしたのだから、まさに幸運としか言いようがないとの周囲の人々の言葉であった。でも二度とこんな経験はしたくない。「冬季は何が起こるかわからないので、冷蔵庫はいつも一杯に」が貴重な教訓だった。

  

(三十九)総括(北見良いとこ、一度はおいで!)

 北見は盆地である。東急グループがディベロッパーとして開いた商業の街と言える。平坦な路は少なく、かなりアップダウンが多い町並みである。JR北見駅を中心に十一万人の街にしては、ホテルや呑み屋が異常に多いのは前述した通り。網走まで車で約一時間であり、そこに誘致した東京農業大学農学部を含めて、冒頭紹介したように北見地域には四つの大学がある。日赤看護大学も北見工業大学の近くにある。大病院も多い。美幌には自衛隊の駐屯地もある。

北見駅を中心に東急デパート、東急インホテル、東急ハーブヒルズカントリークラブ等々、流行の面では東京に近いのかも知れない。

 一時間半から二時間も車を飛ばせば観光地にアクセスできる極めて便利な位置にあることは、冒頭紹介した通りである。女満別空港からバスで各地の観光地を回って、最後に北見で公営カジノ、免税店ショッピングを楽しむといったシナリオが成り立てば、ラスベガスやマカオには及ばないまでも、雪国・酷寒の地を見たさに、また体験したさに、温暖な地域の国々からの観光客も増えるのではないだろうか。冬は厳しいが夏は最高! 車で三十分も飛ばせば樺太マスのルアー釣りが楽しめる常呂漁港に出る。海岸線に早朝から並んで一斉に楽しんでいる。六、七十センチの重さ二キロクラスのカラフトマスが釣れる釣れる!  夕方も最高である。筋子を取り出して薄い醤油に漬けると、イクラのプチプチといった歯ざわりが何とも言えない。酒の摘みや、熱いご飯にかけて食べると最高である。さらに大きな鮭も昇ってくる。皆さんも一度はそんなことを夢見て、厳冬を乗り切る意地と覚悟を決め込んでの体験をされては如何だろうか。 

★これまで記述してきたことは、もともと北海道に住んでいた人達にとっては、何とも馬鹿馬鹿しく映るに相違ない。でも真の北海道を知らない単身赴任族のために、このような生活のための、些細な予備知識を与えるオムニバス体験本なるものがあっても良いのでは尚だろうか。

★北海道人口約五百五十万人のうち約三分の一が札幌に住んでいる。他の都市は高々数十万人である。道外から観光で北海道にやって来る人は、海産物を始め、食べ物は美味しく、夏もすがすがしくて素晴らしいと言う。冬は冬でスキーにスノーモービル、オホーツクでは流氷砕氷船のクルージング、キタキツネや蝦夷鹿にも巡り会えて、春夏秋冬、北海道は素晴らしいと言う。観光で来るのと住むとのでは、大違いということが実感できたことは大きな収穫である。素晴らしいと感じられる方は是非とも住んで頂いて、北海道経済活性化に少しでも寄与して頂ければ望外の喜びである。昔から住み慣れている人は別としても、歳を取ったら寒冷地・雪国での生活はしんどいかも知れない。これをしんどく感じさせないインフラ構築も、地方を過疎化させない高齢化・少子化社会の必須条件なのであろう。

 たった五年間の短い期間ではあったが、この広大な北海道オホーツク圏の一地方都市の大学町に生活して得たものは、自分にとって一生涯忘れることのできない貴重な思い出と財産になることであろう。

               ― 完 ―