| 私の絵本たち |

先日新聞で、木版画家であり、きり絵作家の滝平二郎さんが亡くなった事を知りました。
滝平さんといえば、私が生まれた頃、斉藤隆介さん(文)とのコンビですばらしい絵本の数々を生み出した方。
独自のきり絵スタイルから生まれた絵本たちは、それはそれは大変なベストセラーで今だに愛され続けています。
実は、幼い頃読んだ絵本たちも今だに本棚にある私(本棚は変わっています・・・)。
むか〜し、むかし何度も何度も読んでいるから、もうぼろぼろなのに
捨てられないオーラがある絵本たち。
おかげで甥っ子たちにもたくさんたくさん、読んであげることが出来ました。
むかしから声に出して読む事が大好きな私。
自分の心に奥深く 響き、しみわたるようで・・・。
今でも気になるところは新聞でも声に出してしまいます。いわゆる音読ですね。
新聞や小説など、いわゆる読み物を音読する時、
感情はあえて抑えながら読む方が印象深くなると感じるのですが
絵本の読み聞かせの場合は、
子供たちと一緒にその絵本の世界に飛び込んでしまうくらいが良いと思います。
私の場合、言うまでもなく・・・ですので(笑)、
甥っ子たちは読み終わっても、「もう1回 !」 は定番でしたし
少し大きくなれば、何冊も何冊も積み重ねて持ってくるので、嬉しいやら、大変やら・・・。
眠たそうにしているのに 「読んで」 と持ってくるそんな時は、「子守唄がわりだな」 と思いつつ
幼い頃の自分も、母が読んでくれる、その息遣いやページをめくる音、母のぬくもりの心地よさを思い出したり。
滝平さんの絵本で私が持っているのは 「花さき山」 と 「モチモチの木」。
「花さき山」 は女の子、「モチモチの木」 は男の子が主人公です。
斉藤さんは 「花さき山」 を滝平さんの作品の中でも 「最高の仕事」 といい、
そしてその後の 「モチモチの木」 についても
「もう一度その言葉をくりかえさなくてはならない」 と述べています。
実は幼い頃は、少々この絵を怖く感じていました。
お話とともに印象深い絵本である事は確かなのですが。
(甥っ子たちもこの絵本を自ら持ってくる事はありませんでした・・・)
それが大人になり改めて読んでみると、特に 「モチモチの木」 は、涙でもうぼろぼろ・・・。
甥っ子たちと共に過ごしてきた事で、お話の男の子がおじいさんへの愛情を力に、夢中で勇気を奮い起こすその様が
なおさら 健気で、いとおしく感じるようになったからだと思います。

↓「モチモチの木」 はこんなお話↓
五才の豆太は 夜中にひとりでセッチン (お手洗い) にも行けない、ちょっとおくびょうな男の子。
おじいさんとたったふたりきりで、峠の猟師小屋に暮らしています。
そんな豆太がかわいそうで、かわいかったおじいさんは
ぐっすり眠っている真夜中に、「ジサマァ」っという どんなに小さい豆太の声にでも
目を覚まして一緒にセッチンに行ってくれます。
豆太のおとうさんはクマと戦うほどの強い人でしたし
おじいさんだって、今だに青ジシを追って、高い岩から岩への飛び移りだって見事にやってのけるのに
どうして、豆太だけがこんなにおくびょうなのか・・・
小屋のすぐ前に、豆太が 「モチモチの木」 と名付けた 大きな大きな木 があります。
秋になると、ピカピカ光る実をいっぱいふり落としてくれるモチモチの木。
その実をおじいさんが木ウスでついて、石ウスでひいて、粉にして、おもちにこねあげ、ふかして食べさせてくれるのです。
昼間は 「ヤイ、木ィ、モチモチの木ィ ! 実ィオトセェ ! 」 なんていばっている豆太ですが
夜になると 木が怒って両手で「オバケェ〜」って上からおどかすようで、怖くて怖くて仕方ありません。
そんなある日、おじいさんが言いました。
モチモチの木にひがともる晩がある、それが今夜だと。 だから、起きていて見てみろと。
「霜月の三日のウシミツにゃァ、モチモチの木にひがともる。
山の神さまのお祭りなんだ、それは1人のこどもしか見ることはできねぇ、
それも勇気のあるこどもだけだ」
おじいさんも、死んだおとうさんも見たという、その光景を
豆太ももちろん見たいと思いましたが・・・、豆太は小さい声で、泣きそうに言いました。
「・・・ソレジャァ オラハ、 トッテモダメダ・・・」
その晩、豆太はクマのようなうなり声に目を覚まします。
おじいさんが、枕元で体をまるめて苦しんでいたのです。
「 豆太、心配すんな」 というおじいさんですが、
コロリと畳に転げると、歯を食いしばり、ますます苦しそうにうなるだけです。
ー イシャサマヲ、ヨバナクッチャ ー
豆太は小屋を飛び出しました。
ねまきのまま、ハダシで。半ミチもあるふもとの村まで・・・
峠のくだりの坂道は、いちめん真っ白い霜で、足からは血が出ています。
痛くて、寒くて、怖くて、それでも豆太は泣きながら走ります。
だって 大好きなおじいさんがいなくなってしまう方がもっと、もっと怖かったから。
(ページ変わって・・・)
しんしんと雪が降るなか
豆太は、年老いたお医者さんにおぶられながら
真夜中の峠みちを、おじいさんのいる小屋へと登っています。
そして小屋に着いたとき、豆太はすばらしい光景を目にするのです。
「モチモチの木にひがついている ! 」
それを聞いたお医者さんは
「ア ? ほんとだ、 まるで ひがついたようだ。
だども あれはトチの木のうしろにちょうど月が出てきて
枝のあいだに星が光っているんだ。
そこに雪が降っているから、あかりがついたように見えるんだべ」と言って、
小屋の中に入ってしまったので、豆太はそのあとは知らない。
かまどに薪をくべたり、湯をわかしたり、お医者さんの手伝いで忙しかったから・・・。
でも次の朝、おじいさんは豆太に言いました。
「おまえは山の神さまの祭りを見たんだ。
モチモチの木には ひがついたんだ。
おまえは ひとりで 夜道を 医者さまを呼びに行けるほど
勇気のある こどもだったんだからな。
自分で自分を弱虫だなんておもうな。
人間、やさしささえあれば、やらなきゃならねことは、きっと やるもんだ。
それを見て 他人が びっくらするわけよ。ハハハ」
それでも 豆太は、おじいさんが元気になると
その晩からまた 「ジサマァ」 と起こしたとサ。
***おしまい***
人間のすばらしい行動の底にあるもの
それはやさしさであると、ゆるぎない想いがここにあります。
人はやさしささえあれば、何でもできる、強くもなれるのだと。
やさしさこそが人を成長させるのだと、実感します。
斉藤さんは 「モチモチの木」 について
絵本の最後にこう述べています。
「ガシーンと、太い柱をおしげもなく使った昔の家のようだ。
柱々は代々の暮らしに磨きぬかれて黒光りしている。
その家に天から雪が降る。
雪にはみなかげがあって、ボウとふしぎな光ににじんでいる。
この 「モチモチの木」 は、そういう絵本だ」
私はこれからも、時々手にとりページをめくるのです。
読み終わったあと、いとおしさで胸が一杯になるこの絵本たちを・・・
2009年5月

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